Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

哲学

0229

生まれてはじめて2月29日を経験した気がします。たぶん4年後も似たようなことを感じると思う。 びっくりするほど気力がわかないのでベッドの上にへばりつくような生活をしている。ときどき哲学書を読むくらい。うぇー。 論理哲学論考を読み返しています。探…

0227

理解から自明に至るほんの短い間にだけ人は哲学したことを書くことができる。 何をする気にもなれない状態が続いています。 自分の心がひそかに実行している冷徹な損得計算、それをはっきり予感するようになってから、僕は何を選ぶにつけ「身勝手な悪いやつ…

0208

最近、人に憧れるのをやめた。それでは自分を制限するだけだと思うようになったから。僕は自分が自分であるということにおいて最高性能を発揮すればよいのだ。 僕は自分の思想、たとえばこの世に本質などないこと、世界と私とは同一のものであることなど、の…

0207

それ自体を対象化すると消えてなくなってしまうもの。意味、目的、理解、幸福、などなど。 スピノザの「知性は否定的観念よりもまず肯定的観念を形成する」という洞察、これはデイヴィッドソンの根源的解釈にも通ずると思うけれど、実情はむしろ、僕らが一般…

0205

「イクラとかけましてハマチとときます」「その心は」「どちらも値段を聞いているみたいだ」 知性改善論を読み終えました。その還元的思考をもっと徹底して欲しかった、という気持ち。スピノザが見た実在的理性という完全性は、僕には継ぎ接ぎの機械にしか見…

0201

また風邪をひきました。自律神経が失調し体温調節が出来ていないせいだろうと思います。困った。 歴史は繰り返すという言葉について。たとえば囚人のジレンマのような状況において、戦略の変更に一定期間が必要でかつエージェントによってその期間が違う場合…

0130

スピノザ「知性改善論」を読んでいます。優れた洞察や説得力のある論証も含まれているけれど、全体としては賛同できない部分が多い感じ。たとえばスピノザは単純なものに注目する限り虚構に陥ることはないと主張しているけれど、ここで「単純なもの」という…

0125

”よく考えると意味がわからなくな”らないものなんてない。「よく考えると意味がない」のではなく「よく考えることによって僕がそれを無意味にした」のだ。 高校の先輩が数学の未解決問題を解決したことを知ったり、友人の学会発表のスライドを読んだりして、…

0121

自分の思考を支えるものなどなにひとつないのだ、という気分に一度としてなったことのない人たち、彼らの言葉はまさに宙に浮いている。 僕らにできるのは迷路を上手に解くことだけで、たとえ僕らが世界についてなにか知っているかのように見えたとしても、そ…

0118

雪が降りました。現象です。 「好きなものを選ぶ」ことは、好きなものがすでに決まっているがゆえに自由ではない。僕らは自由ではなく、しかし自由を感じている。 言葉によって考えると量的な関係を見落とすなどして誤った結論を出してしまうことがあるけれ…

0112

日記を再開しようと思います。 結局、卒論を書き上げることができず留年ということになってしまったけれども、それについてはまあ仕方ないことだったと思っている。反省すべき点はあまたあるけれども、ここ半年くらいの自分は、自力ではどうにも脱出できない…

ウィトゲンシュタインの数学観について

結局諸事情あって卒論は間に合わなかったのですが、締め切り一週間前くらいから書き始めた卒論もどきは一応出来上がっていて(字数は足りないけれども(というか原典にあたっていないの致命的(あとにゆくほど雑になる(言い訳です))))、お蔵入りにしてしまうの…

1125

僕らは現実に「連続した直線がある」などとは言わず、ただインクや液晶のドットで構成された(実際はざらざらゴツゴツした)直線様のものがある、というだろう。だが、例えば精神の時間的連続性について述べるとき、我々はまるで時間的直線が現実にあるかのよ…

1110

「生きることに意味はない」と主張することは、虫を見て騒ぐ人たちに「その虫は(見た目は悪いが)無害だから取り立てて騒ぐことはない」と言うことに似ている。あるいは、アニメのキャラクタに熱を上げる人たちに「それはただの絵だ」と言うことに似ている。…

1022

ich denkeのichとich binのichが別物だという認識は完全に正しいと思うのだが、それがどう違うのか説明せよと言われると難しい。 自己認識としての「私」と、この私としての〈私〉は別物だよね、だって自己認識を有する存在のうちこれだけが僕なのだし、と言…

1012

「縦3cm、横4cmの三角形の面積は6cm^2である」という命題が現実について何か述べるとすれば「もし仮に縦3cm、横4cmの三角形が存在するならばその面積は6cm^2である」という仮定含みの形に書き換えられたときだけで、もちろん現実世界に三角形など"ない"。 「…

1002

自分の性格に病名がついていた(自由律俳句) 昨日、新しいPCが届いたのですが、何をどう頑張っても起動せず、どうやら初期不良を引いたようでした。BIOSすら起動しないという残念な状況でたいへんがっかりした気持ちです(メーカと販売店に連絡したところ交換…

0928

心の哲学について。消去主義的唯物論の立場には親近感を覚えはするものの、そこには「消去主義」という考え方自体が消去主義によって否定されたはずの命題的思考であるという自己撞着が紛れ込んでいる。また因果的還元云々言ったところで、その因果というも…

0912

言語的記述は、それがいかに理論立っていようと絶対的なものに思われようと、世界についての<感想>を超えるものではない、と言いたい。そしてある目的の相の下においてはじめて感想に優劣が生じるのである。 わたくしは、よい書物を著したいと思った。だが…

言葉とか

言語・論理がなぜ哲学の問題になりうるのかわからなくなりつつある。「名とは何か」とか「なぜ言葉は世界を記述できるのか」とか「論理法則とは何か」とか、どれも「君がそのように言葉を使っているから」以上の答えがあるような問題ではないのではないか。 …

理解

我々の(少なくとも日常的な)現象理解は、操作可能性を基礎に置いている。「原因Cによって結果Eが起こる」というモデルが意味するのは、Eを制御するためにはCに干渉すれば良いということだ。もちろん、現象Eを制御する意図を抜きにしてCとEの因果関係を把握す…

0903

例えば一キロくらいの長い棒の端をお腹に押し当てて、もう片方の端を金槌で叩いてみたとする。衝撃は棒を伝ってお腹に及び、僕は痛い思いをする。このとき痛かったのはいったいどこなのだろうか。常識的に考えればお腹だが、棒の先が痛みを感じたと考えるこ…

0829

たとえ未来の僕がとは関係のないものであったとしても、他者を愛するのと同じように、彼を愛することもできるのだということに気が付きました。もちろんこれは執着であって、信仰の一つの形態に過ぎません。でも少なくとも「私」を必要としない信仰です。そ…

喩え話体系(2)

喩え話体系(1) - Redundanzの続きです。 さて、先の文章において僕はほとんどすべての境界、すなわち個物の独立性を否定する立場を取った。それはただの恣意的な区分であり、<境界>ではなく「境界」にすぎないものであると述べた。このことは、世界が<粒…

喩え話体系(1)

──筆者はなんでもないものを、なんでもなく述べることができない。筆者はなんでもないものを、常に何かであるかのように語ってしまう。(谷川俊太郎「なんでもないものの尊厳」) 下向きに移動するものしか見えないカメラがあって、それが画面の前に固定されて…

0719

鎌倉に住んでいる従兄弟一家に誘われて横浜で映画を見ました。なんのひねりもない単純なエンターテイメントではあったけれど、映像を作るということに関してはハリウッドには多くの才能が集まっていると思う。すさまじいお金が動いているのでしょう(調べたら…

生きづらさについて

一般に、「なぜ?」という問いには限界がある。理由と説明の連鎖には上限が存在し、どこかでそれを打ち切らざるを得ないことを我々は経験的に知っている。子供の「なぜ?」の応酬を浴びたことのある者や、つねに「なぜ?」と考えてしまう者はよく実感してい…

世界と主観のこと

素朴な物理主義の立場では、知性は本質的なカテゴリではないので、仮に主観の性質が世界そのものの性質であったとしても、「人間に主観が宿る」という構図は明らかに不適当である。ゆえに自我と他我とを別物にしたまま主観について語るためには、物理法則の…

0630

複雑大規模なライフゲーム。白色の盤面上を法則に従って移り変わる、黒色のドット。それが時を経て組織化し、いつしか自我を主張するようになる。けれど僕から見て彼はただの模様であり、彼が彼自身であると主張する部位と、それを除いた盤面の他の部分との…

自由意志のこと

自由意志について書こうと思う。人は(ある意味では)自由でもなんでもないということと、それから責任について書こうと思う。 ここで僕の主張したいことは、自由とは主観の形式であるということである。言い換えれば、意志と呼ばれる形式が成立するためには必…