Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

あー。

一日中腹の虫の居所が悪かった。睡眠不足で寝起きはつらいし、死にそうな身体を引きずって受けた力学の追試でゴミのような失敗をしたこともそれに一役買っている。どうも僕は力積というものを分かっていなかったらしい。やる気あんのか、僕。まあ、他が出来たおかげで何とかなりそうではあるけども、そんなもの何の安心材料にもなりはしない。新しいことを学ぶどころか、防ぐべき穴を探す段階で引っかかっているところであり、やはり僕に勉強は向いていないらしいという気分を加速させる。
Twitterで見かけた、本当につまらない倫理観が、正当に論理的でかつ普遍的なものとしてまかり通っていることに絶望したのも僕の気分を悪くした。しかもそれがちょっと上手いことを言っているかのように語られていたのが、二重に効いている感じだ。
ついでに、嫌いなドイツ語の授業で教官が、彼は感動するほど退屈な授業をされる方で僕は高く評価しているのだけど、ある級友がドイツ語から意訳した、雀百まで踊り忘れずという慣用表現を知らなかったらしく、変なの、と笑い飛ばしていて、こんな人間に何かを学んでいること自体が屈辱的思えてしようがなかった。別に大学の教官に常識や教養を期待するほど僕はつまらない人間ではないと自負しているし、別に知らないことは知らなくてもいいとも思うのだけど、なんというのか、その彼のスタンスそのものに知性の欠片も感じられなくて、ほんとうに嫌になる。

いろいろ愚痴を書き連ねたけれども、普段の僕ならこんなこと思いもしないはずなのだ。やっぱり疲れているし、切羽詰まっているらしい。今日は早めに寝て、明日頑張って生きる。