Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

にゃんにゃん(手品)

昨日の夜、母校の後輩Yがうちに泊まりに来ました。僕の母校は関西なので、関西在住の子と言うことになるのだけど、用事で東京に来ており(ついでに、W大の文化祭に僕とともに参加する)、寝るところを貸してくれとのこと。夜11時くらいにやって来ました。1年程会っていなかったのですけど、そのくらいの期間じゃあ、あまり人はそんなに変わらないらしいです。(僕も変わっていないと言われた。)
彼は現在高校2年生で、社会学に興味を持っているとのこと。折角の機会なので、いろいろとお話しました。社会問題というけれども、学者はどのように社会問題を同定すべきか、そこから彼が今勉強中の構築主義や、フーコーの話。僕は、社会学はなんとなく言ったもん勝ちの世界だろうとか思っていたのですけど、案外そうでもないらしいということ。彼は、社会学者を活動家と研究屋に二分していて、その二つのスタンスの違いなんかを踏まえながら、どういう人達が何をやっているのか、説明してくれました。弁論部なだけあって(弁論の中でも競技弁論ガチ勢(全国大会準優勝とかとか))、話をするのが上手いです。それから、自意識の話、宗教の話、幸せの話。ここにその議論を書き連ねるのは面倒だからしないけれども、いろんな事を話し合いました。楽しかった。彼は高校生だけども、僕は凄い高校生の枠内で彼を捉えるようなことはしないし、できません。それだけの能力を持っているし、なにかやるんじゃないかなあと期待しています。実際、ちょっとニュウスに取り上げられる程度の某かはやらかしているようです。
いつの間にか3時になっていて、もう少しおしゃべりを続けたかったのですが、次の日(つまり今日ですけど)W大の文化祭で手品をやることになっていたので、しかたなく寝ました。まあ寝過ごしたのですが。

起きて慌てて準備してW大へ。僕とYは母校の奇術部に所属していた/いて、僕は前前部長、彼は現部長なのですが、僕らと繋がりのあるW大奇術部の1年生が、いろいろな奇術関係の部活、サークルを呼び込んでいて(諸事情あって人が足りないらしいです)、それで僕らにお鉢が回ってきたというわけでした。僕はここのところ奇術にあまり触れていなくて、少々不安もあったのですけど。
キャンパスに入り、奇術部の室へゆくと、既に沢山の人がいて、手品をやっていました。K大、K校、I大辺りが呼ばれていたのかな。それらの団体の人達が、互いに演目を披露したり話をしたり。与えられた教室の立地が悪いこともあり、お客さんがなかなか来なかったので、前半は交流会の趣が強かったように思います。特にI大奇術部の部員たちのレベルが高くって、うおおとなりました。割と参考になるところも多くて、へーとかほーとか言いながら眺めていました。僕も高校時代の技術を引っ張りだして披露したり。たまにコイン弄ったりカードで遊んだりはしていたので、そこまで技術は落ちていなかったのだけど、観客に対する演じ方というのを、かなりに忘れていました。寝不足で頭回らなかったし、結構失敗もしてしまった。ううむ。

僕が初めて手品に興味を持ったのは、多分小学4年か5年の時なのだけど、その時は自分のやる手品を見た学校の友人達の反応が面白くって、それでやっていた気がします。僕はコミュニケイションが得意でなかったから、何かを演じてみて、そうして周りの注目を引くようなやり方でしか集団に参加できず、その手段として手品は有効でした。工作少年だったおかげで手先は器用だったし。(今思うとクラスに溶けこまねばならないという強迫観念があった気はする)
それではじめた手品だったのですが、インターネットで見たコインアセンブリと言うトリック、それに魅了されてのめり込んでゆくことになります。僕は、小学校で手品をやる以上、クリーンな状態ではじまり、クリーンな状態で終わるトリックを、それはもう激しく求めていました。そうでなければ、彼らの遠慮を知らない質問をはぐらかすことはできません。それで、終わったあとに手の中に種のコインが残っていたり、カードに不自然な並びを必要としたりするものを嫌い、ある種の完全性とでもいうものに、異常に執着していたのです。そんな中ネットで発見したコインアセンブリの動画(あの時代はYoutubeみたいなのは当たり前に存在せず、ストリーミング再生が一般だった。懐かしい。)は、僕の理想を体現していて、それのギミックを見破ることに熱中しました。何百回か見たのかな。そうして、種を見破り、自分なりに改良し、絶対にバレないような演じ方を模索すること。あの頃の僕が、奇術に対して最も真摯だったのではと思います。あの熱意を持ち続けることができたら、僕はまともに奇術を究められていたのだろうか。これも、僕にあったかもしれない才能で、今は失ってしまった才能の一つなのだろうなと思うと、かなしい。
高校に入って奇術部に入部したのですけど、そういう閉じた場所で奇術をやる時、僕のモチベイションの根幹にあった、見せるということがなかなか出来ないわけで、それで多少やる気を無くしてしまったのが僕の失敗だったなあ、とか。先輩たちが、技術を高めること、マニアックな手順に没入していたのには、そういう理由もあったのだろうと思います。
けれども、一般の観客が見て喜ぶものは結局、現象がシンプルで技術も単純なものであることが多いというディレンマ。なかなか難しい。
この企画に参加した人達にも、似たような感覚を持っている人達は少なからずおり、それをわかった上で、自己満足の極地へ向かう人、観客を楽しませることを第一に掲げる人という風に、様々な反応があるようでした。そういう彼らと話していると、なんとなく僕が小学生の時に感じていた、奇術への期待のようなものを思い出すことができて、少し嬉しかったです。また、再燃するかもしれないなあと予感しています。そうであったら、良いな。

5時くらいに文化祭は終了して、片づけして、ちょっとみんなで話して、帰宅。後輩はこのあと新幹線で関西へと帰るらしく、大学の最寄り駅でお別れしました。また母校の文化祭で会おうとかなんとか。ゆけるといいな。