Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

11月5日なのだけれども。

忙しかった割に、書くことがありません。*1
記号論理学Ⅱ、わかってるのかわかってないのかよくわからなくなってきました。自分が何かを理解していないことを理解すること、むつかしいです。物語は理解していることの内側で、当たり前のように回るから。だから、誰かとお話して、その外側から登場人物をお迎えしてやらねばなあと、そういうわけで教官に質問してみたのだけれど、なかなかうまくゆきません。新キャラに物語世界が世界ごと壊されてしまって、それまでのお話が消去されてしまって、登場人物は違う文脈に割れ飛んで、ちゃんちゃん。冒険の書はうんたらかんたら。ドラクエやったことないのですけども。
いろいろと考えなおさねばならないようでげんなりなのだけど、計算可能性と再帰関数の関係について、ちょっとあやふやになっていたところが詰められたのは、まあ良かったのかな。
やっぱり僕は、そんなに頭が良くないみたいです。かなしい。
言葉に出来ることは、誰にだって理解されて構わないはずなのだけど、そうでないらしいのは少し不思議だなあと思います。一つ一つは誰でも意味のとれる言葉の集まりを、理解できる人とできない人がいること。それはどういうことなのだろうか。知られているべきことを僕が知らないのか、理解するという行為が、人によって違う形で実現されているのか。容量の問題なのか。あるいは、ただ人によってかかる時間が違うだけ、なのかもしれません。
もう少し、わかるということがどのような事態か、意識的に問うてみなければならないのでしょう。修正が効くのかは疑問なのだけど、僕が僕のままねばすんなり取り込めない物事が、本当にたくさんあるのです。めまいがするくらい。くらくら。
はあ、楽しいなあ!

夜、Twitterの新しいアイコンを描きました。今までのアイコンの子は甚平を着ていて、ちょっと寒そうだったので、マフラーとジャケットを装備した子を冬用に。最近、他のイラストレータの描き方を眺めていて気に入った手法とか考えたこととかを少し取り入れてみたのですけど、割と反応が良かったので少しほくほくしています。幼すぎたかな、と思わないでもないのだけど。
ふふふん。

*1:と執筆開始時は思っていたのだけど、意外に書けてしまった