Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 実家の生活リズムがつらいです。人から起こされるの、有り難いこととは思うのですけど、大抵が自然な起床に失敗して頭痛やら倦怠感やらを一日中引きずることになるので、あまり好きではない。それとは逆に、一人暮らしをしていて分かったのだけども、睡眠時間が少なかろうと、自分で目が覚めた時は頭痛はない(怠さはある)ので、なんというか。練習でなんとかなるものなのかな。

 サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」を読みました。数学史を無駄にドラマティックに描いているのが少し気になったけども、面白かった。天才ばかりでてきて若干凹みましたが、人類の知性の形が、なかなかに凄いものであることを思うと少しばかり気分が良い。(という僕は気持ち悪い)
 最終定理の証明が複雑なものであることと、定理自体がすこぶる単純な形をしていることの間に、何か秘密はあるのだろうか。僕らが何を基底にとって知的活動なるものを行うかによって、この辺は変わってくるのかな、とか。神様から見れば、自明な構造が、ただそこに置かれているのか知れず、そもそもなにもないのかもしれなくて、とかとか。

 ある命題のメタ命題を、ある命題と同値な命題全てを含む集合として定義する。それらのメタ命題を含む集合として、またメタ定理が構成されてゆく。それらの構造が、樹木の枝のような形態をとるのか、再帰的な構造を取るのか、それとも、もっと違う何かを示すのか。

 THE BRAIN is wider than the sky.

 僕の脳が考えうる領域の広さは、まだまだ狭すぎて話になりません。もっと賢くならなきゃ。


 今夜は知り合い(AnotheVisionという集団)の開催する謎解きに参加する予定です。(出来るのか?)最期まで解けると良いな。