Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 昨日、Twitter上でアンケートを実施してみたところ、文脈が認識の枠組みを規定して、その後の判断に影響を及ぼすことの面白い例になったので、それを元にALESSの論文を新たに書くことにしました。書いています。書き終わりません。どうしたものか。せっかく面白いデータが得られたのだから、丁寧に分析してやろうと思うのですけど、僕が統計がよく分かっていない(夏学期不可でしたもんね)せいで、上手く扱えずに困っています。調べれば分かるのでしょうけど、なぜか気が乗らない。こういう、やれば身につくだろうことが分かっているのにどうしても取り掛かれない分野の勉強というものが(沢山)あって、僕の無能さの原因の大部分はそこにあるのではと思うのだけど、やれないものは仕方がなくて、時間のみが過ぎてゆく。こういった状況が、保健センタ通いによって解決すると良いなと思います。そういえば明日は二度目の受診であった。まだ非日常感があって楽しみです。そんなことはさて置いて論文書き。徹夜すればなんとかなるかね。(破滅的思考)

 バイト先の新年会に行ってきました。料理がとても美味しかったし(ラム肉しゃぶしゃぶのお店。少し高い)、そこそこに良かったのですけど、職場の同僚であるという形の人間関係というものに、多少の絶望を感じました。業務能力や仕事の態度などの特定の空間に閉鎖された価値観(?)とお金や立場の序列など組み合わさると、かなりの殺伐が生まれるらしく、かなしくなります。みんな平然と人の悪口言うのな。(怖い)それでいてみんな楽しそうだから、人の多面性というのは、こういうネガティブな意味でも作用するのだなと、わかってはいたけども残念な気分です。一人ひとりは悪い人ではない(と僕は思っている)のが、さらにどうしようも無さを加速させる。僕は幼い、のか。何にせよ、人はもう少し心から(無自覚に、ということ)理性的であるべきだと思います。まあ、どうでもいいや。

 さて、論文の続き書かなくちゃ。だるだるーん。