Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0315

 冬学期の成績開示。よくありませんでした。ここまで悪くはなかろうと思っていたので、悔しいとか残念だとか言う前に、よくわからない、というのが感想でした。もう少し真摯に勉強すべきだったのでしょうけど、しかしこれが僕の限界だったわけで、なんかなあ、とか。やはり僕に学問は向いていなくて、そもそも何も好きなものがなくて、どうして生きたものか途方に暮れています。これぞというものが見つかれば、即座にこの大学を辞められる程度には、大学とか研究への執着は失ってしまっているのですが、それが見つからないから、惰性で大学生で在り続けています。生きたいと思う気持ちは、一種の誤魔化しのようなもので、それを僕は本当に愛していたのだけど、その拘りを失ってしまうと、人生というものはただの透明なタスクの集積へと姿を変えてしまいます。そこには意味も好みも存在せず、死への恐怖、快への向きといった、本質的に動物と変わらない生が現れてくる。ずっと前から予想されていたけども、それでも僕は合理性から離れて、拘り続けることを選んできたはずだったのです。
 何もしなくていいやと思います。何をしてもいいよと思います。もう選択するのは諦めました。流れる方に流れてゆきましょう。そうすれば、大学の卒業くらいは出来るはずで(本当かな)、なんとか生きてゆくことも出来るでしょう。(無理かもしれない)
 頭がもう少し良かったら。後ほんの少しだけ賢かったら、もう少し拘り続けることが出来たのでしょうか。ただ一切が平穏に過ぎてゆけば良いと、それだけを願います。疲れたなあ。

 サークルのビラの印刷をしました。明日はパンフレットを印刷せねばなりません。9時には大学におらねばならないので、大変です。一日がかりになるでしょう。まあ、別にいいけど。