Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0416

 昼から保健センタ。先生が変わって以来はじめてのカウンセリングでした。新しい先生は、ゆったりとした人物で、偏執的な優秀さをその無表情さの中に湛えているように見えました。この人は僕に共感してくれる(必ずしも気持ちを推し量れる必要はないのだけど)のだろうかと少し心配になります。それはともかく、今日は最初なので、概略を話しました。僕は僕の理想とする僕が持つであろう興味のパラメータを無理やり装おうとして失敗したこと、なんにも興味が持てないこと、何もしたくないこと、生きているのは窮屈なこと、それは死ぬまで続きそうなこと、それから単純な損得計算。
 先生は僕は客観的に自分を見ていると言いましたが、僕にはその自信はありません。こういう自意識の持ち方も、僕の理想とするものだったから。今現在の僕が持つ、あらゆる理想的な部分は偽装されていると疑ってかかったほうが良いように思います。自分を過大評価するのは危険です。
 そんなことを話しているとすぐに時間が終わってしまいました。こんなことで、事態が好転するのだろうかと、少しずつ疑念と諦めが膨らんできています。自分語りを肯定的に行える場で、自分を見つめなおすというのは、確かに精神を健やかにするためには良いことなのかもしれないけれども、僕はもっと、積極的な精神への介入を望んでいたのではなかったか。化学合成されたモチベイションの摂取。もしくは、科学的に確立された、網羅的な精神分析
 どうしたものかわかりません。もう少し考えてみましょう。

 その後、英語二列。TEDのクラスになりました。みんな英語できるなあという印象。奇妙さとは、ただの差異とどう違うのかということを題材にしたプレゼンを聞きました。文化の違いが概ねその根源にあるのだというような内容でしたけども、それだけかなあ、と思います。今の僕は、日本と異なる海外の風習を聞かされても、奇妙だとは感じない。その背景には、合目的な理由があるか、もしくは、自分の慣れ親しんだ文化がそうであるのと同様、ただそうなったというだけのことなのだと考えることが出来る。何かを奇妙だと思う気持ちは、無理解から来ると思うのです。小学生が異文化を笑うのと同じ機能によって。
 英語勉強しようかなあと思います。グローバルなご時世だからというわけではなくて、少々の悔しさから。ああ、ロジバンも勉強したいのだった。そろそろロジバンゼミ開きたいなあ。

 4限は図形科学でCADの勉強。出来心から、作っていた図形の一辺の長さを50kmと設定してみたら、本当ににゅーんと延びたのが面白くてひとしきり笑いました。距離といってもただ点と点の間にそう決められているだけだし、建造物の設計するソフトウェアだから出来て当たり前なのだけど、何故かしらんツボに入ってしまった。
 コンピュータに図を書かせるのはどうやら得意ぽいです。まあ3DCGなんかでひと通り遊んできたしねえ。授業の合間になんか変なもの創りたい欲求が湧いています。中学生の時みたいに。あ、教科書買わなきゃ。

 夜はバイト。忙しかったので割と頑張りました。世界救えたかな。

 そういえば戦闘妖精雪風がハリウッドで映画化されるらしいですね、びっくり。映像化には向かない気がするし、そもそも空戦はアニメ版でお腹いっぱいなのでアレなのですが、まあ楽しいミです。好きなものが脚光を浴びるということは、妙な満足感をもたらしてくれます。どちらかと言えば敵は海賊映画化して欲しいのだけども。

 明日は化学実験。半分くらいは予習したので続きは明日。眼鏡のレンズも変えなきゃね。いっその事コンタクトにしようかしら。