Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0513

 他者の利益を損ねた認識とそれに対する報復を予想する想像力がある時、焦燥を覚えるのは自然の成り行きだ。その気持を良心の呵責と呼ぶことはもちろん出来て、しかしそれは良心そのものの存在を意味しない。僕に良心がないということは、僕が良心的でないということに直結はしない。自分の心の動きについてどの程度意識的であるかが問題であり、だから精神異常者に対する学者の言うところを読めば、大抵、上辺だけの良心だとか、本質的な愛情を抱けないだとか書かれている。傍目に見てそうでない(高度な)感情がどれだけあるだろうか。
 僕は自分の全てについて意識的でありたい。それがたとえ、心からの気持ちを解体してしまうことになろうと。

 眠れないせいで精神の状況が良くありません。何故だろう。季節の変わり目だからかな。いっそ今日は思い切り寝てみようと思います。そうすれば多少改善するかもわからない。