Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0629-0630

0629
 合唱の演奏会。朝早く起きて準備にゆきました。久しぶりに午前7時とかから行動を開始した気がする。(起きている事自体はある) 昼くらいから体操とかやって、ゲネプロやって、それから本番。まあそこそこの演奏が出来ていたのではないかと思います。(適当) 実際は演奏中は正気を失っていたので周りを聞く余裕は無かったのですが。しかし、やはり僕は本番のプレッシャに弱いです。割と損な性質なので何とかせねばならないなあ、とか。

 その後指揮者の先生等迎えてレセプションがあったのですが、僕を含めた数人はそちらにはゆかずに、打上げの準備の方をしていました。なんやかんや面倒だったのですが、打上げの行われる旅館で一番風呂(団内では、という意味)をゆったり浴びることが出来たので、よく分からない優越感とか感じていました。
 レセプションへ行った人たちがなかなかやって来なかったので、そこで先輩とぐだぐだ話をしました。聞き上手な人物で、知らずのうちに僕の境遇を話していました。(ここで顔面が高熱を発する)何もやりたいことがないこと、何も極めることが出来ていないこと。頑張れないこと。器用貧乏ぽいよね、とか言われました。そうなのかもしれません。僕はなんだって出来たけど、同時に何者にもなれなかったのです。そしてこれから何かになれる気もしないのです。困った。
 あと、団の運営についてもいくらか話をしました。集団芸術というのをやるときに、表現の力点はどこにおかれるべきかとか。参加者のそれぞれが好き勝手に考えたところでそれはまとまりを欠くし、では作曲者の表現したかったことを指導者や指揮者が統一的に解釈して、それを上手く演奏に込められるよう技術的な練習に終始するとなれば、与えられたことをその通りにやるだけになってしまって、モチベイションは下がるだろうし。(選曲の手続きを変えると良いかもしれない。それとも、表現云々よりも、もう少しメタな、もっと単純で一般的な目標を設定することで、曲の選択だとか表現の仕方だとかを些細な問題にしてしまうこと。) まあよく分からないけれども、せっかくなので何かしらの関与をしてみようかという気分にはなりました。自分には珍しいことです。多分眠かったのでしょう。

 それから打上げで少しだけお酒を飲んで、あまりに眠かったのでさっさと寝て、朝うちに帰りました。


 0630
母と東京観光。お寿司を食べたり。昨日の疲れが残りに残っていて眠たかった。銀座の街の雰囲気、僕の興味の対極に位置しています。とりあえず大きな書店を1つ2つ増設したいところ。