Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0826

 賢くなりたいのです。切実に。

 長期増強という概念について調べていました。神経細胞を同時に刺激すると、2つの神経細胞間の信号伝達の効率が持続的に向上する現象のことです。脳細胞があまり増加しないのにかかわらず生物が記憶を維持できる事実をよく説明するメカニズムとして期待されています。すべての動物に見られる古典的な条件付けから、人の高度な認知に至る様々な学習を説明する現象である可能性があるとのこと。
 僕は昔この概念について知った際に、"同時"という部分に興味をひかれました。その頃の僕は、人工知性にどうやって世界認識を与えたものかと夢想することに傾倒していたのですが、一つのアイディアとして、例えば見たものと触れたもの(つまり複数の違う種類の入力)との間にうまく関連をつくる仕方があれば、人が持つような時間的でモノ指向の認知を再現できるではないか、というのがありました。どういうことかといえば、まず生物が特定の物や状況を分節化して取り出すためには、それを同定する方法が不可欠だと考えたのです。しかし生物は生まれながらにして個々のオブジェクトの情報を与えられているわけではない。生まれる前からリンゴを知っているのではない生き物が、リンゴをリンゴとして認識するためには、リンゴに関連する情報が関連付けられてリンゴの形を為さなければならないのです。リンゴを認識するためにと書きましたが、リンゴがそれ一つの単位として認識されるのは結果としてであり、はじめからリンゴを見ることを目的としてこのような現象が起こっているわけではない、ということに注意してもらいたい。赤さ、ツルツルした肌触り、丸さ、そういう、より基本的な属性を司る脳の部位が連結を強くすることにより、リンゴの輪郭が形作られてゆく。その為には、同時に発火しているニューロン間の結合を強くするという方法は、非常に都合の良いように思われたのでした。
 ところで、今日つらつらとWikipediaの記事を読んでいたところ、この長期増強が起こるか否かを決定するのは、刺激の強度であるとの記述に当たりました。はじめは割と当たり前の事を言っているように思えたのですが、この刺激の強度は何に依存しているのだろうと気になり始めました。単純に目の神経などのお話なら、明度、赤さなど、刺激の強度に対応する要素はいくらでも思いつきます。それに対して、例えば「こんにちは」という文字列を認識した際の刺激の強度が何に依存するのか、よく分からなかったのです。Wikipediaには、一度の刺激では不十分でも、複数回の刺激によってこれが起こりうるという記述があったので、まず刺激の頻度が、刺激の強度を決定する要因として思い浮かびました。こんにちはを一秒間に百回見たら、強いこんにちは刺激が送られるわけです。ここでふと思い出したのがポケモンショックで有名な光過敏性発作で、これはテレビてんかんなどと呼ばれているようですが、てんかんニューロンの一斉発火を要因とするものであることを考えればうまく事実を説明するよう思われました。それから、ある文字列から想起されるイメージ、情動等が刺激を強化するということも考えられます。僕が思いつきもしない要因も他にあるのかもしれません。とにかくこれらのことをうまく利用すれば、長期増強が生じうるレベルにまで刺激を強化出来るのではないかという気がしています。ところで長期増強が同時に刺激を受けたシナプス間の信号伝達の強化であるなら、単純に考えれば、既に知っていることの間にのみ結合を作れるということになります。これは、僕の物覚えが悪さが(特に読書について)、言葉によって想起されるものが少なすぎることによるのではないかという考えをさらに促すものです。僕は文章を読んでも、ただ字面を追うのみに終わることが多いのです。それは特に興味のない分野について起こりやすいことなのですが、それを防いで、なんとか意味的理解を伴った学習をすることを考えねばなりません。それは意味と言語の間に橋を架けることであり、それもまた長期増強によるものであるからには、強い刺激と反復的な訓練によってなんとかなるのではないか、と前向きに考えています。とりあえず、見たものを詳細に説明してみることからはじめてみようかしら。