Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0907(インド3日目)

 迎えの時間の一時間前に起きると、さっさと準備をしてホテルを出ることにしました。チェックアウトしたい旨を受付で伝えると、パスポートを渡せと言います。仕方なく渡すと、隣りの写真屋でコピーするからとか何とか言って使いの別の男が外に持ち出してしまいました。さっさと返せと言っても5分待てと言う。昨日はそこの受付のコピー機でコピーしたろうが。僕は自分の迂闊さを呪います。彼らは僕をここに引き止める口実を作るつもりだ。
 しかし、人のパスポートを勝手に持ち出して、返せと言っても返さないのは普通に犯罪です。だから、あと五分で返さないと警察に電話するぞと伝え、五分だけ待ってやることにしました。残り一分を切って、僕がカウントダウンを始めるとさすがに本気なのが伝わったのか何やら電話し、さっきの使いの男がパスポートを持って帰ってきました。
 さて後は逃げるだけです。受付のやつが手配したオートリクシャーはスルーし、大通りまで出て流れのオートリクシャーを捕まえコーンノートプレイスまで移動。多少ぼったくってきたけども安心感が先立って、その値段で払いました。
 早朝で人もまばらなコーンノートプレイスをとぼとぼと歩いていると、掃除をしていたおじさんが、この時間は危ないからそのへんのコーヒーショップにでも入って時間を潰していろというのでその通りにしました。
 アイスコーヒーを飲みながら日本から持ってきた青色本を読んでいると、一人の客が僕に話しかけてきました。インド人という生き物は基本的にフレンドリィで、下心がある人とそうでない人を見分けるのが難しいのです。この人も敵なのだろうかと疑いつつ、暇つぶしに話をしてみることにしました。彼はインド南部出身(アッサム)で、シティバンクで働いているといいます。身につけているものも割と高価そうで、1杯100ルピーの紅茶(アッサム出身らしく)を飲んでるあたり、あまりお金には困っていなさそうです。客引きの人間たちに特有のケチ臭さをあまり感じなかったので、鉄道やバスについて質問してみました。彼は下手な英語で(英語が下手なのは逆に安心できます。外国人を相手取ってる感があまりないから。もっともそれだけで判断するのは危険だけど)、色々と説明してくれました。
 それらを聞きながら、やはりさっさとデリーを出ようと思い立った僕は、彼に券売書への案内を頼みました。連れてゆかれたのはやはり旅行会社。そろそろ疑心暗鬼に陥っていた僕は、コイツも敵だったかと思いがっかりしました。旅行会社には日本語を話せるガヤ出身の僧侶みたいな男がいて(胡散臭い)、彼が僕の担当につきました。彼は、誰か一人は信用しなければやって行けないぞど言いますが、僕はもう誰も信用したくなかったので、適当に相槌を打ちながらどうしたものかと考えていると、隣に座っていたコーヒーショップの彼は仕事だと言って帰ってゆきました。それで、もしかすると彼は本当に親切だったのかもしれないと思い直し(彼は隣に座っていただけで何も言わなかったし)、そこで、旅行会社の男に鉄道の切符をここで買ったら幾らだと訪ねてみました。僕の旅程だと26000ルピーだと言います。やはり高すぎる、だいたい200キロあたり700ルピー程度のはずだと確認すると、それは二等列車だ、危ないし暑いし時間かかるしとエアコンつき一等車を薦めてくるのです。かなり強引だったけども、ホテルの予約を無理にすすめることもなく、料金の明細を確認させてくれたので、彼らは僕にお金を使わせたがってはいるものの、騙す気は無さそうだと考え(やはりぼったくりだったのだけど。後日談)、彼らの提案で妥協しました。(ただし、危険なはずのカシミール行きを薦めてくるのはいったい何なのか。もしかしてあちらの旅行関係の施設が観光者減で必死だったりするのかね。確かに綺麗な場所ではあるぽい。)
 夕方の出発までは時間が空いたので、彼らの提案に従ってガイドを雇いデリー観光。シーツや石鹸がほしいと言うと、また旅行者向けぽい店へ。多少値切ってシーツを買いましたが、やはり高いので、もうこういう店には行くなと強く言うと、それからはもっと安めのところへ行ってくれました。特に道端で寡黙そうなおじさんの売ってたカレーをガイドに奢ってもらったのですが、それが本当に美味しかった。昨日ジャンプゥに連れてかれたところよりずっと。石鹸も20ルピーほどで買えてなかなか良い感じになってきた。
 それからデリーゲートへ。第二次大戦で死んだインド人の慰霊碑だとガイドは言います。車から降りて写真を一枚撮ると、女の子が寄ってきて、二ルピーで名前入りのミサンガぽい腕輪を作ってやるというので、作らせたのですが、出来上がった途端一文字2ルピーだとか紐が10ルピーだとか言い出すので、突っ返しました。大人気ないように思ったけども、今まで僕を騙してきた連中には何故か腹が立たなかったのに、今回ばかりはとてもむしゃくしゃしたのです。今までは失敗したという自責の気持ちが強かったのに対し、裏切られたという思いを強く感じました。もし彼女らが単に寄付を求めていたのなら僕は幾らか渡したのかもしれないのです。特に興味のない腕輪を作らせたのも、偽善的な気持が少しあった。しかし彼女らの行為は、僕の彼女らの印象を商売人へと転換させるもので、それなら僕は不要なものなどいらないのだ。そのギャップが、怒りに変わった。彼女らが餓えて死のうが、僕には関係ない。
 先に書いたけども、僕はこれまでに僕を謀った人間たちをあまり恨んでいないのです。彼らは僕に好感を与えようと必死だが、善意を引き出そうとはしてこない。また、彼らを観察していると彼らには全く罪悪感がないのが見て取れる。それは彼らの世界のルールが僕のそれと全く違っている証拠だし、そのルールに足を踏み入れた側の僕が迂闊であったというだけのことなのだ。そのような世界観の中で彼らは生きて死んでゆく。シビアな世界です。願わくば彼らに幸福あらんことを。
 ドアを閉めて、彼女らを振り払い、次の場所へ。そこは寺院でした。チャイを飲みながら、椅子に座ってガイドと世間話。例えばガンジーは日本では非暴力不服従の合言葉で有名だけど、インドではもっと直接的にイギリスからの独立の英雄であること、インドの結婚の制度、それからヒンディー語を少し習いました。挨拶程度だけど。ヒンディー語の文法ってどうなってるのかしらね。語と語の隙間ぽい部分は少し聞き取れるようになってきたけども、もっと英語や日本語との対応のサンプルがないとそれ以上のことはわかりません。動詞や名詞、格をどうやって示すのかも不明。
 その後駅へ行って、そこでガイドと別れました。チップを請求されてちくしょうと思ったけども、少しばかり渡しました。これはカレー代だ。
 駅で電車に乗り込むと、さすがに一等車、冷房がガンガン効いていました。乗ってくる乗客もどことなく裕福そう。使っている携帯電話も高そうだし。この持っている携帯電話の質は、インド人の生活水準を見るひとつの基準になります。iPhoneSamsungの割と高価そうなものを持っている人は富裕層に多く、彼らは基本的に紳士で信用に足ります。一方、Nokia等を使っている層はあまり裕福ではなく、生きるのに必死であるぶん、僕ら旅行者にたかってくることがあります。まあ貧しく親切な人もいるのですけどね。半々くらいです。
 さて、この電車で隣に座った人物がとても好人物で、色々と親切にされました。彼はアイフォン・ニガテ氏(仮名)と言い、その名の通りiPhoneの操作が苦手です。娘からもらったらしいのですが、文字を入力することすら覚束ないようでした。
 ニガテ氏は日本向け商品の輸出を行う会社の社長さんです。ジャイプルにいる弟(仏教の霊媒師だとか言ってた。よくわからん)に会いにゆくところだそうです。僕がジャイプルで宿がなくて困っているんだというと、周りの乗客を巻き込んでまでして予約をとってくれました。少し気恥ずかしかったけども非常に嬉しかった。ジャイプル駅についてからも、タクシーを手配してくれたのです。(しかも運賃まで払ってくれた) ひと目でそれとわかる純粋な親切をインドで初めて経験して、荒みかけていた精神が結構回復しました。
 ホテルで残りの旅費を計算すると、かなり使ってしまっていて(騙されたのだけでなく、せっかくだからとつい使ってしまう僕の性質のせいも大きい。日本に戻ってももう少し自分に厳しくならねば)、残りはかなり節約して旅を進めねばならなさそうです。日本から送金してもらうほどではないと思うけども、最悪の場合はそれを考えねばならない。
 まあ何とかなると信じたい。