Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0911-0912(インド7,8日目)

 お金を取り戻すことに成功したと言いましたが、それは彼らが返すことを約束しただけで、送金はまだでした。彼ら旅行会社はアグラのとあるホテルにコネクションがあるらしく、そこの口座に送金するといいます。そこで、僕は一日アグラを観光して待つことにしました。
 オーナ氏の手配したサイクルリクシャー(自転車で引くタイプの人力車)に乗ってバザールを回りました。やはり彼らは値段をふっかけてくるので、頑張って値切ってチャイを買いました。目当てのものを買ってしまった後、ちらりと更なる購買意欲を伺わせながら店内を物色していれば、彼らはしきりにお茶(美味しい)を飲ませてくれるので、それを楽しみながら(何も買わずに)時間を潰します。店の人たちは今度私は日本に行くんだとかこれは君にだけの特別価格なんだとか訳の分からない理屈で商品を薦めて来て、それを眺めているのも面白かった。必死だなあ。
 さて、約束の時間が来たので例のホテルに向かい、送金されているか聞くと、まだだと言います。怪しく思って旅行会社へ電話すると、アグラにはコネクションのある場所がないので送れないとか何とか。何言ってるんだこいつと思い、例のホテルのオーナーに尋ねるとやはりコネはあるらしい。それを電話口で言ってくれと頼んだのですが、それは出来ないとのことでした。おそらく旅行者を斡旋してもらっているぶん、あまり強く出たくはないのでしょう。結局いくら電話で話しても埒が明かず。
 仕方がないのでタージゲストハウスに帰還。オーナ氏に事の顛末を伝えると、明日タクシーでデリーへ行ったらどうだと提案されました。彼は敬虔なイスラム教徒(よくお祈りしているのを見る)で、人を騙す輩に対して(教義的に)強い憤りを感じているようです。少し熱すぎるきらいさえある。僕は流石に迷いました。そのためには今夜のバラナシ行きを諦める必要があるし、タクシー代も馬鹿にならない。時間も相当無駄にするだろう。だから、帰国のためにデリーに戻った際、返金を受け取ることにしようと一度は考えました。
 けれどもやっぱり、騙されたままなのは気持ちが悪いし、事がうまく運べば節約旅行を脱せる可能性があり、そして何より、彼ら旅行会社の奴等と遊んでいたほうが面白い気がして、最終的にまたデリーに乗り込むことに決めたのです。いきあたりばったりで非合理的な判断だとの自覚はあったけども、もはや意地のようなもので動いていました。

 そう言えばタージゲストハウスに来ていた日本人の大学生Mと知り合いになりました。彼はもう40日もインドを旅しているようです。バラナシから自転車でアグラまで来たとか。その行動力、見習いたいものです。彼はタバコを吸うので、オーナ氏にハッパマスターと呼ばれていました。オーナ氏は僕にもアレなあだ名をつけてくれたのですが、あまりにアレなのでここには書きません。

 翌朝、デリーへ。タクシーの運転手は寡黙な人で、特に話すこともなくぼーっとまどろんでいる間にデリーに着いていました。喉が渇いていたので屋台でレッドブルと水を買って飲み、そこで道を聞いて旅行会社に乗り込みます。受付には僕も知っている男がいたので、そいつにもう一度料金の詳細を説明させました。彼はインド鉄道の公式ページを見せて説明するのですが、ここでやっと彼らのトリックに気付き、僕は自分を思い切りなじりました。鉄道予約のページで列車を検索すると、料金の内訳も表示されるのですが、なんとそいつはその中の税抜き価格と税込みの価格を別で計上してやがった。そりゃあ価格が3倍になるわけだ。それらをすべてメモして、警察署へ。彼は慌てて追ってきたのですが、往来の多い道路を急いで渡ってまきました。しばらく警察署を探して歩いていると、数人の警察官が立ち話しているのを見かけたので、彼らに相談して、その内の一人に一緒に来てもらうことになりました。
 その警官がけっこうトロい人で、彼らの手口とチケットの本当の金額を理解させるのに手間取ったのだけど(旅行会社の男も自分に都合の良いことをまくし立てるし、僕の英語力が足りないのも原因である)、なんとか事態を把握してもらい、12000ルピーの返金となりました。正直その額に不服だったので裁判所へ行くだの大使館へ行くだの脅したのだけど、その警官にも窘められ諦めることに。くそう。しかも金を用意するまで数時間かかるから待っていろなどと言います。腹が立ったので彼らの商売の妨害を目論み事務所の中で待ってやろうとそこに居座っていたのですが、(哀れな)客がやって来た際に二階の客から見えない部屋に連れてかれてしまいました。ちくしょう。
 暇だったので旅行会社のスタッフたちに話しかけると、案外色々と教えてくれました。特に怒ってもいない様子。僕みたいな客にいちいち腹を立てていたら彼らの稼業なんてやってられないのかもしれません。まあ表に出していないだけでめちゃくちゃ腹を立てている可能性もあるけど。
 彼らの話によると、旅行会社に客を連れてゆくと、なんと売上の50%をマージンとしてもらえることになっているらしいのです。僕はそのあまりのレートの高さに驚いて、それから溜息をつきました。これは客引きが増えるわけだ。それも、出来るだけ悪徳旅行会社に連れてゆくほうが儲かるのです。人の欲望の釣り合った果てがこの状況かと思うと、人類に絶望せざるを得ません。この辺の規制を何とかしない限り、デリーはまともな街にはならないなと思ったのでした。
 何人かと話をしたのですが、その中に一際目立って裕福そうな男がいました。真新しいチェックの青いシャツを着て、胸元にレイバンのサングラスを下げ、BMWの鍵を弄んでいます。なんとなく育ちの良い雑草のような印象を感じさせる男です。彼は、インドの議員の息子(数人のスタッフに質問して同じ答えが帰ってきたのでおそらく事実なのでしょう)らしく、しかも彼自身別の旅行会社を経営しているようです。彼のような人物を通じて、政治とも癒着しているのねと、なかば諦めに似た心境にいると、下階から歓声が聞こえ、スタッフが僕への返金分を持って上がってきました。ああなるほど、売上で僕に返すつもりだったのかと悟り、受け取った金額の業の深さを感じつつ、さっきの客からいくら手に入れたんだと聞くと、225000ルピーと印字されたレシートを興奮気味に見せてきました。これはもう呆れる他ない。騙す方も騙す方だが、騙される側も大概だ。しかし他人ごとのようにそう呟いてみたところで、自分だって騙されていたわけで。人は長い時間かけ言葉を尽くして説得すれば、その素性に関係なく他人を信じてしまう脆い生き物なのだなあと、しみじみ思いました。生きる上で何かは信用せねばならないという弱点。社会を作ることで他の生物を蹴落としてきた人類が、その力の代償としている持つ致命的なセキュリティホールです。
 歓喜に包まれる旅行会社を苦々しい気持ちで後にして、アグラに戻りました。彼ら詐欺師の雰囲気は、どこか映画に出てくる海賊に似ている。まっとうに生きるほうがはるかに安定しているだろうに、手に入るかもしれない大金のために危険を犯して博打を打つ。そのスリルに溺れているように思われるのです。そしてその気持ちが、なんとなくわかる気がしたのも、自分をあまり良くない気分にさせたのでした。
 アグラに戻って、ゲストハウスに未納だった一泊分の宿代を払い、またいつかここに来ると約束して、それから寝台列車でバラナシへ。昨日今日と見苦しい二日間になってしまったけども、問題はおおかた片付いたし、明日からは旅行らしい旅行になってくれるでしょう。旅行記ももっと読んでいて心地の良い物になるはず。