Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0924(インド最終日)

 インド最後の日。朝起きて朝食を食べ、荷物を詰め込んでいると、昨日呼んでいた空港送迎タクシーがやって来ました。デリーのごみごみしたメインバザールの喧騒に別れを告げて、車に乗り込みます。これから帰るのだと思うと、鬱陶しかった客引きや人混みが急に恋しく思われるようなったのは、人の心の過去を美化する機能のせいでしょうか。車の中では特に運転手と話をすることもなく、取り留めのないことを考えていました。(何を考えていたのかは忘れてしまったけども)
 空港に到着して、中へ入ろうとチケットを見せると、なんと出発6時間前にならないと入れないと言われました。なんてこった。これならデリーのバザールでぼったくられていたほうが遥にマシです。またタクシーかメトロでデリーに戻ろうかとも考えたのですが、20日に及ぶ旅行で疲弊していたのもあり、空港の休憩所(ここまではパスポートと旅券があれば時間に関係なく入れます)で待つことにしました。
 インドにいる間に、語学に対するモチベイションがいくらか上がっていたので、休憩所にあったショップで英語の本を一冊買い、辞書を片手に読んでみることにしました。経験から語彙力の重要性を痛いほど理解したので、そこに出てくるあらゆる単語を記憶するつもりで読み進めます。だんだんと辞書を引かねばならない回数が減ってゆくのは少し楽しかったのですが、それでも数時間かけて20ページも読めなかったので、まだまだ先は長そうです。
 時間になったので、空港へ入ると、今度はチケットの発行までにしばらく待たされました。僕が持っていたのはeチケットだったので、本券に変えて貰う必要があるのです。国際空港は多くの航空会社が利用するために、ANAのようなデリー国際空港に対しそれほど多くの便を運行していない航空会社専門のブースは存在せず、離陸の一定時間前になって初めて受付が開かれます。ANAの受付が開始されると、多くの日本人が集まってきて、これから日本に戻るのだなあという実感が湧きます。そもそも空港の中はもはやインドとは言いづらいものがあって、早くもインドの雰囲気への懐かしさを感じていました。それから、もう少しインドへ踏み込むことも出来たのではないか、という後悔。これはまあ、今だからそう思えることなのでしょうが。
 荷物検査等を済ませて、出発ロビーに入ると、到着した時に見たのと同じ土産物屋や喫茶店がありました。僕は旅行中は荷物になるからと余りお土産を買わなかったので、足りない分をここで補填します。(それでいいのか) お茶とか石鹸とか、あと昔バラナシでオートリクシャーの事故に巻き込まれたという両親にはオートリクシャーの模型を買いました。自分用のマサラチャイも買ったので、たまには家で飲もう。
 用事を済ませて、後は出発を待つのみです。スタバでコーヒーを飲みつつ本を読んでいたのですが、久しぶりにコーヒーの苦味を味わいました。北インドの人はもともとあまりコーヒーを飲まないらしく、最近のコーヒーチェーンの出店で消費は増えているとはいえ、まだあの苦味に慣れていないのかやたらと砂糖の入った甘ったるいコーヒーばかり出てくるのです。
 銃を持った警備員にパスポートとチケットを見せて(空港では小銃を持った制服の人間を多く見かけます)飛行機に乗り込み、ついにインドの地とお別れです。飛行機が離陸し、窓の下に来た時に見たのと同じオレンジ色の街の灯が広がると、今回は異質さよりも親しみを感じて、それのみが20日の名残を残しているような、そんな気がしました。
 飛行機の座席は寝づらくて(国内線だとすぐに寝てしまうのに不思議)、前席モニタでSHERLOCKを見たりしながら時間を潰しました。暇に耐える能力は今回の旅行で相当に身についたように思われます。せかせかした日本でどのくらい役に立つかは未知数だけども。

 そうして、僕は日本に帰ってきました。飛行機が着いた時、日本では小雨が降っていて肌寒く、それがとても日本らしくて良かった。砂と乾燥と暑さの国にはない趣きのある天候です。そう感じるのは僕が日本人だからなのだろうけど。さてこれからまた日常がはじまります。大学の事を考えると少し気が重いけれども、気を取り直して、遅れない電車で自宅へ向かうのでした。