Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 サークルの定演前の最後の練習。色々と不安です。僕はやっぱり、何かに向けて頑張ることが苦手なのです。それに向けてやってきたことの量が、それの僕に対する強制力を増してゆく。リカーシヴな動機とすべきこととの相互作用が、僕を僕の意図しないところへと連れ去ってしまうのです。一体僕は何をしているのか。そもそも、この世に存在することは、何かを選択することと同義なのだ。そしてそれは、僕は僕だという宣言と同じく、何の意味も持たないなりの意味を持っている。世知辛い世だよ、まったく。

 円城塔朝日新聞に寄稿していたのを読みました。持っててよかった朝日新聞デジタルのアカウント。(実際は父のです。)内容はまあ面白かったのですけども、ちょっとやり過ぎかなというきらいもあります。穿ち過ぎかもだけど、読者をからかおうとするあまりに少し危険な領域に片足を突っ込んでいるように思われました。(だって、円城塔が全国の新聞読者について言いたいことなんて!)例えば、"「Xを持っている」のXは「秘密」であり、「このXが何であるかは秘密である」。"この2つの秘密は本来違うもののはずなのです。2つの間には明確に階層があり、それ故、"この秘密が何であるかは秘密である"という文は意味を持つ。だから僕はちょっと「この秘密が何であるかは秘密である」とあからさまに書いてみせたことについて、ぐぬぬという気分になったのでした。