Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 ですます調で日記を書き続けるのが億劫になってきました。語尾の連続に注意を割いたり、制約の中でリズムを制御したり、結構面倒くさいのです。ただでさえ表現力が足りていないというのに。いっそやめてしまおうかとも思ったのですが、昔は習い事にせよ塾にせよ何かをやめるということに対し強い抵抗を感じたものだったなと思い返して、考えなおしました。やっぱりそれまでそうしてきたことを変えるのはどうも苦手です。思うところがあって始めたものは、特に。僕の中には、変化に対してとてもとても臆病だった、幼い僕がまだいるのだ。

 乾いたタオルから最後の一滴を絞りだすように、頭を熱くして形にしたい思考、適切な表現を探しだす努力を、ここのところめっきりしなくなってしまいました。タンスと壁の隙間に落っことしてしまった指輪を取り戻すために、手をぎゅうと伸ばし、目をつぶって、指先に神経を集中し、一瞬の機会を逃さぬよう息を止める、そんな風にして、言葉をたぐり寄せること。僕はその限界を超えて圧縮された精神が、行き場を求めて飛躍する感触がとても好きだったはずなのだけど、いつの間にか忘れてしまっていました。忘れて久しかったために、その感触すら思い出せなくなっています。リハビリが必要です。

 数理論理学を読み進めました。意味論的な包含、論理式が恒真であることと推論が妥当であることとの間の関係とか、はじめて真面目に考えました。厳密さと抽象性に身を浸すのは、時間はとてもかかるけど心地よいです。このような愉悦は所詮借り物にすぎないのかもしれないけど、知った事かという感じ。練習問題もさくりと解けたし、幸せハッピーです。やっぱり定義に返るのって大事よね。

 夕方からバイト。中学生から送られてきた問題の中に、結び目理論の問題があって、コンウェイ多項式について少々調べていました。スケイン関係式の言っていることがよく分からなくて最初は手間取ったのですが、「3つの有向絡み目の射影図 L-,L0,L+ について、射影図の絡み目の成分上の1点の近傍が下図のように異なっており、"それ以外の部分は一致している"とき、それら3つの射影図はスケイン関係にある」という部分を読み違えていただけでした。帰納的な定義大好きなので、このような議論は楽しい。トポロジーちょっと勉強してみたいな。