Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 近頃の自分は、生き方を覚えただけの死体みたいだなと思いました。楽しみ方とか面白がり方は覚えたけれども、そのぶん楽しいことや面白いことは消え去ってしまった。とかかっこつけて書いてみたけど嘘かも。たんに自分の内側に引きこもって気ままに世界を作っては壊す安寧を貪っているだけかもしれない。でも、どこにゆけばうまい具合に外の世界に投げ込まれることが出来るのか、やっぱりよくわかりません。人と会って話をすること?でもなー、最近不特定多数とお話するのが億劫になっているしな。世界を共有できるくらいに誰かと話し込むだけのやる気がない。いや、やる気を出すこと自体はそれなりに出来るようになっているのだけれど、果たして今の自分がお話して双方のためになるような人物に出会える確率がどのくらいあるだろうと考えると、やめにしといたほうが良いのではないかなーと、ひどく冷静な自分が言います。くたびれるだけだよ、と。だからたぶん、妥協案として僕はこうやって日記を公開したりTwitterに書いたりしてるんだろうな、と思います。僕の同類が僕を見つけて興味を持って近づいてきてくれることをちょっぴり期待しているのです。同類っていうのはちがうかな。もし僕に十分に近ければ、僕と話したいとは思わないはずだもの。自分とは決して相容れなくて、しかし何らかの意味で生きる世界を共有出来る人達が現れてくれるといいのになと願っています。まあ今でも二、三人はいるわけで、それで満足すべきなのかもしれないけど。にゃごにゃご。僕は僕の予想を超えた何かを求めています。

 沢山眠ったので今朝は心地よく目覚めました。体調もそれなりに快復。やっぱり食べることと眠ることは大事ですね。

 哲学概論の授業でフッサールの話を聞いたのだけれども、割といろんな反駁を考えついたので先生に投げてみました。まあ冗談みたいなものです。なにせこういうお話は答えようのないものをいくつも含んでいるわけだから。けれどもひとつの体系を前提とした上でなら、このような説明を加える事が可能であるとか、その問題はこの体系を超えているとか、そういう冗談をさらに展開することはできる。そして僕はそういう面白いお話ができる場所があれば、それなりに楽しくやってゆけるのではないかって思うのです。結果としては全然楽しくなかったわけですが。あの先生、ちょっと狂信的すぎると思うのよね。単にあそこは教育の場だからってのもあるんだろうけどさ。

 夕方からバイト。医学部過去問集の作成の仕事をしました。苦手な化学だったからこれでいいのだろうかとひやひやしながら解いていた。ほんとにアレで良かったんだろうか……。