Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0412

 新歓合唱祭。うちのサークルはしょっぱなだったので朝10時という非人道的な時間に集合でした。身体が非常にだるかったので少し遅刻していったのですが。
 体操発声して、練習して、着替えて、それから本番。相変わらず演奏の途中で先走ってしまったけども、楽しかったので良しとしましょう。(僕個人の話としては) あとJerichoのテナーが頑張る部分の入りが格好よく決まったのは嬉しかったです。
 それから新歓関連の会議に参加して、不良団員なりに意見を述べたり。この合唱団は、指揮者と自分の間のコミュニケイションでほぼ成り立っていて、それは各個人の性能がある程度高いから出来ているのであり、音楽的な面で問題を共有し議論をしたほうが良いのでは、ということが言いたかったのですが、うまく伝わったかは知りません。総務氏は把握してくれたようだけど。
 しばらく総務氏とぐだぐだ自由意志と虚しさについて喋って、夕方から新入生候補を交えての練習。僕は身体的なイメージと言葉を結びつけるのが下手くそなので、指揮者氏が見学者向けに、感覚的な語彙をきちんと定義してくれていたのが案外ためになりました。
 練習の後は駒場のイタトマで夕食会。本当は行かないつもりだったのですが、周りの人たちに誘われて参加することに。新入生候補者たちを囲んでごはんを食べつつ、僕は例によってひたすらおどけていました。つかれた。でもよくわからない充足感があります。僕のダメさだって(一時的にせよ)人を笑顔にすることが出来るのだ。
 ちょっと不穏なものを観測してしまったので、少し心配。