Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0608

 あろうことか起きたのが十四時前で、サークルのリハーサルへの参加を諦めました。自分のキャパシティを考えて今回の演奏会には出来る範囲の貢献をしよう、という決断が言い訳に働いている感じもあるし、そもそも夜になってから、数学みたいに分からないと悔しくて他のことが手につかなくなるタイプの活動を始めてしまうことが間違っている。僕はダメです。やれやれ。

 一日中『計算論』の演習問題を解いていました。アッカーマン関数が原始再帰関数でないことを示せという問題だったのですが、なかなか難しい。こういう計算論の命題は、規則の機械的な適用で解けてしまうことが多いので、それがうまくやれないということは、僕の記号操作能力の低さをあらわしているよう思われます。「手順」を体に馴染ませるのが苦手なのです。これは僕の運動のぎこちなさとも関連している気がする。あと、語学能力にも。
 短期メモリに規則を導き、それを参照しながら、実際に身体を動かして、考えずともそれが出来るよう練習する。そういう訓練をすべきなのかもしれません。その意味では、お金がなくて手品の本を買えなかった僕が、本屋で立ち読みした技術を覚え、家に帰って練習していたのは、良い訓練になったいたのでしょう。手品、再開しようかしら。

 流石に一日じゅう計算しているのは大変で、晩御飯を食べた頃には流石に何にも考えられなくなってしまいました。一時間ほどうとうとしていると元気が復活してしまったのですけど、今日はちゃんと眠ります。そのためのロゼレムである。