Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0618

 イザイの無伴奏バイオリンソナタを買いました。amazonでmp3ファイルをダウンロード。UFJのVISAデビットカードを作ったので、ワンクリックで購入手続完了です。僕みたいにあまりお金のない学生にとっては、お金の支払は少々面倒な方が良いなと思ったり。ベンヤミン・シュミットというヴァイオリニストの演奏だったのですが、もう少し情感込めて弾いてくれたらなあ、という感じでした。イザイの音楽ってもっとこう、背中の後ろでナイフの柄をぎりりと握りしめるような暗い情動よって書かれている気がするのです。まあ僕の勝手な印象なんですが。とはいえ良くないかといえばそうではなく、淡々と真っ直ぐに演奏されているので、聴きやすさはあります。この曲は無伴奏なので、普通ならピアノやオーケストラが担う支えの部分を、疑似マルチタスクのように微妙に時間をずらしつつバイオリン一丁で実現しており、やたらと複雑なのです。それが割とすんなり曲として聞こえてくるのは、シュミット氏の技術によるのでしょう。僕が弾いてもこんな風にはならないだろうと思います、確実に。
 音楽が音楽に聞こえるということは案外不思議な現象で、この無伴奏バイオリンソナタにしても、10年前の僕には曲として理解できなかっただろう、と思います。沢山のパターンを知っていて、また音の中に特徴を抽出できて初めて楽曲が立ち現れてくる。しかもそれは、僕の理性の及ばない部分、脳の自律的な作用に寄ってそうなっているのです。そう考えると、少しぞわぞわとした感覚があります。僕の頭は僕の知らないところで何をやっているのだろうか、みたいな。

 On Libertyを読むゼミ。毎回そんなにページを進めることはせずにミルの文章と絡めて先生の考えを述べる、という形で進んでゆくのですが、先生は単に自分の考えを伝えたいというよりも、学生との活発な議論を望んでいるようなので、何か思いついたら適当に言ってみることにしています。そこそこ楽しい。今日は死刑制度の話とか出てきて、それについてちょっと考えたのだけど、なんかよくわからなくなってしまいました。まず死刑制度が被害者のためにあると言うのは意味不明で、というのも死んだ人は帰ってこないのだし、損害は賠償されるかどうしようもないかのどちらかなんだから、加害者が死んで償うというのは、それで誰かがスッキリするという以上の意味は無いように思うのです。再犯を防ぎたいのなら無期懲役で良い。(犯罪人を一生国が食わせるのはもったいないという意見はあるかも知れない)それって理性的ではないなあ、と。なんというか、復讐に好意的というか、動機の理解できる犯罪に情状酌量を与えるってどうなの、みたいなことも思います。同情できるかそうでないかで殺人に対する罰が変わるのって、法治国家じゃない気がする。それから、抑止力としてあるという話も、個人的にはちょっと疑問です。犯罪とはなにかというと法律を違反することだと思うのですが、このへんの意味で法律というのは多分、暴力的に利益を得る行為を、社会的に、相互間指摘に防ぐためにあるものです。何が暴力的かという基準は時代によるのだろうけど、おおかたの人間が最低限の権利を得るために十分なラインとして設定されているのではないかな。そうしてみると、犯罪を犯すリスクとしての罰は、犯罪に寄って得られる利益の期待値を上回っていれば十分だろうと思うわけです。で、犯罪に寄って得られる利益なのですが、これはおそらく2つあって、一つは外在的な、経済的な利益になります。これについては、最高刑として無期懲役が定まってれば十分なように思います。何も殺される危険性がなくたって、一生を塀の中で過ごす可能性があるならば、僕は強盗なんてしない。そしてもうひとつは内在的な、感情的な利益で、これは復讐みたいな、要はやってしまえばそれで目的が達成されてしまう類の暴力です。これについては、たぶん抑止力としては死刑だって無力です。そうすると、刑事罰ってのはむしろ抑止力というよりも、犯罪者の身柄を拘束するためにあるという方が正しくて、そうなると、冤罪なんかあると取り返しの付かない死刑制度は割と危ないんじゃないかな、とか考えました。僕は社会に殺されたくない。

 なんか気持ち悪いことを書いてしまった気がします。まあこれにかぎらず、真面目になにか考えるということは、個人的には割と気持ちの悪い行為です。考えるというよりも、結論を出すことが、かな。中庸が美徳、という感覚がいつの間にか強固に染付ついてしまって、ニュートラルでない主張を展開することがもはや罪であるかのように感じられるようなっている。斜に構えるのが格好良いというよりも、斜に構えてないと寒気がするというのが本当のところで、だから、僕には関係ないけどと嘯きながらそれっぽいことを言うだけ言って逃げるのが常態化しているのです。そんなことなら、考えるだけ考えて自分の心に仕舞っておけば良いのにさ。案外どうして、考えごとは聞き手を求めているのだ。気持ち悪い。

 夕方はサークル。自分としてはなかなかよい出来です。自分の身体をうまく制御できている感じがします。一週間半後にはもう少し改善できるかな。