Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0828

 サークルの後輩の家にサークルの友人たちとお呼ばれしていました。ひたすらスマブラなどゲームをやっていたのだけれど、こういう複数人と対戦する格闘ゲームは本当に苦手です。まず自機の位置をすぐに見失ってしまうことと、それから複数の対象に同時に注意を向けるのが極端に困難で、いつの間にか画面外に吹き飛ばされている(サッカーを習っていたのにちっとも上手にならなかったことと関連しているかもしれない)。慣れれば(頭のなかに専用のモジュールができれば)それなりにうまくやれる気もするのだけれど、初めてなのにうまくプレイできる人もいて、その違いはなんだろうと思います。そういう人達は汎用的な何かしらの対処法を心得ているのかしら。
 僕は基本的に運動音痴なのですが、昔サークルの合宿の余興で卓球をやったとき、かなり自然に動きを修得出来たことがあります。その時は、こう打つとこういうふうにボールが飛ぶから、こうラケットを動かせば良いのではないか、ということを考える余裕があって、そのとおりに身体を慣らしていったのでした。このことを考えると、たとえ僕でも、動作を要素に分解して、かつ適切にフィードバックを受け続けることができれば、それなりに身体を制御できるのかも知れません。今日スマブラをやっていて感じた最大の困難は、自分の押したボタンによって何が起こったのかがまったくわからないことでした。
 昨日友人と話したことですが、自分は、人よりも統一的な方法で問題にアプローチしている感覚があります。それはつまり個別的に現実に対処する機能を持たないから、よりシンプルな論理であらゆるものに対応せねばならないということです。だから最初に意識的に解決策を考えない限り、単純な反復練習ではまったく成長しない。ひたすら練習しても一向に伸びなかったタイピング速度が、ちょっとした注意の切り替えによって劇的に向上したのは、そういうことなのだと思います。
 僕の精神はたぶん、自動化の度合いが普通よりも小さいのです。その分、チューニングの自由度は普通よりも高いんじゃないかと思います(そうであって欲しい)。もっと上手に自分を制御できるようなりたいなと感じています。