Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 いい加減に鬱陶しくなっていたので髪の毛を切りにゆきました。出来上がりはそれなりでそこそこ満足。美容室での会話がほとんど前回と同じだったので、RPGの村人みたいだなとか、時間がループしてるみたいだなとか思ったり。世間話の切り口というのはそんなにたくさんはないのでしょう。世界は繰り返しで出来ている。

 3限が休講だったので、友人から借りていた順列都市(上)を読みました。イーガンの作品、アイディアの秀逸さに対してストーリィにあまり心惹かれないことが多かったのですけど、今回ばかりは違いました。確かに魂の不変量とでも言うべきイーガンの自我の哲学にはいくつかの点で納得のいかないところがあるけれども、しかし哲学的な思いつきがテクノロジーの発展によって具体的な形を帯びてゆく様相は読んでいてわくわくします。人工の"発見"をこんなに上手に書ける人はなかなかいないのではないかしら。下巻を読むのが楽しみです(借りにゆかねば)。
 勢いで空間の謎・哲学の謎も読み通しました。途中まではふんふん頷きながら読めていたのですけど、だんだんと自分の手持ちの道具では意味を受け取れなくなっていって、最後の方ではただ提示される結果を了解するだけになっていたのがかなしかった。今の僕が読んだところで、それぞれの言葉を別個に認識することとなんらかわりはないのです。まったく理解の及ばないものが眼前に形を伴って存在しているのはショックで、自分はなにも学んでこなかったのだなと思うと気分が落ち込みます。知の世界を推し進めてきた天才たちの成果と、そこから逆算される努力と執着、才能と動機を推察して、ため息をつくほかない。せめて僕がもう少しエネルギィに満ちていれば。きっともっと沢山のことを知っていたに違いありません。僕は、僕が持って生まれた能力によってなりえた人間の、ほんの何分の一かの存在でしかないのです。僕は僕を無駄にしている。無駄に?どういう目的と基準でもって?

 5限は戦争社会学なる講義に出てみました。正直、あんまり面白くなさそうです。問題設定が少し窮屈なのではないかな、みたいな。いやこれも僕の悪い癖だ。表面だけ見てそれっぽく評価を下す。慎重に慎重に。十分な情報が揃うまで判断するのは差し控えねばならない。

 その後バイト。今日は沢山問題がやってきててんてこ舞いでした。頭の調子が悪くなかったのでなんとかなったけれども。そういえば、たびたび難問を送ってきた生徒がやめてしまうらしく、ちょっとした謝礼文を問題に添えて送ってきていたのですけど、その中で名指しで僕に言及してくれていて(むつかしい問題はだいたい○○氏が解説してくれておりました云々)ちょっと報われた気持ちになりました。僕は単に面白いから解いていただけなのだけれど、だからといってそれが人の役に立っていないということにはならないのだ。