Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 昨夜いつの間にか眠ってしまっていました。最近こういうことあんまりなかったのだけれど。頭がちょっと疲れていたみたいです。

 朝起きたら相変わらず腰が痛くて、うんうん唸っていたら1限に行けませんでした。残念。昼ごろになってようやく痛みが引いてきて、計算数学Ⅱを受けに駒場へ。ちょっと早くついてしまったので駒場の書籍部を物色していたら、ふと手にとったウィトゲンシュタイン・セレクションがなかなかおもしろくて買ってしまいました。ウィトゲンシュタインは考えたことを様々に書き散らしているタイプの哲学者ですけれども、それらの断片的文章を内容ごとにまとめた感じで、取り上げられることの少ない彼の数学観に関するものも入っていたりと、珍しい構成の本。まだちらっと目を通しただけなのですが、数の体系と論理の体系はまったく別の性質を持ったものであり同一視することは不可能であるという指摘は興味深いなと思いました。
 本を読んでいて頭が回転をはじめると、唐突に、ここのところまったく頭を使っていないなと自覚するに至りました。そのぶん疲れきってしまうことも少なくなっていて、つまり生活に適応できているということなのですが、しかし頭を悪くしてまで生活したくない、という思いがあります。それでふと、生活というか生きることそのものに対してもっと集中することが出来るのではないかしらと考えて、今見ているものとか聞いていることとかに対してどのくらい心のリソースを割けるだろうかということを試してみました。傍から見れば椅子に座ってぼーっとしていただけだと思うのですけど、集中すればするほど世界は鮮明になってゆき、そうして、3年くらい前によく経験していた、考えすぎることで身体が震える感覚を思い出しました。意志に反して、手が震えるのです。かつては同時に吐き気を催していたのだけれど、今回はむしろ心地よい感じがして、時間を忘れてそうしていました。たまにはこういう時間もいいよね。

 計算数学Ⅱ。先学期に取っていた講義の続きみたいなもの。今学期は各人が好き勝手に決めたテーマを学期を通して追求するらしいです。何をテーマにしようか悩んだのだけれど、ちょうどディープラーニングを専門に研究してらっしゃるTAの方がいたので、僕も機械学習をやってみることにしました。完全に素人だし何を学習させるかもまだ定まっていないけれども、計算力で人間の認知を殴ってゆけたら良い。

 学校帰りにサークルの総務氏と会ったのでお話をしました。生活と精神の話。僕は自分の毎日をもっと手足のように感じるべきだ、など。