Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 ちょっとした思いつき。「指差し」が指示を意味していることをコンピュータに学習させらないだろうか、ということを考えました。計算数学Ⅱの最終的な目標はこれにしよう。

 サークルのボイトレ。ボイトレ担当は毎年、ボイトレの先生に誕生日プレゼントを渡すことになっているらしいので、渋谷の百貨店にあるダルマイヤーという肉屋さんでハムのセットを買ってゆきました。この前総務氏に選んでもらったやつです。先生には結構喜んでもらえた感じだっので、彼には感謝せねばなりません。
 僕は人にプレゼントを買うのは苦手です。自分の好みが周りと違うみたいで、何を渡したら喜んでもらえるかちっともわからないのです。お金を渡して、好きなものを買ってくださいというのがもっとも誠実な対応だと思っているのだけれど、しかし世間一般ではそれは駄目っぽいし。ううむ。
 そういえば似たような理由で自由研究も苦手だった気がします。小学生の頃の僕は、糸とゴムを使って本物みたいに動くターミネーター(T-800)の腕や、変形機構を搭載したウルトラマンガイヤの戦闘機(六角柱になるやつです)など作って一人で遊んでいて、ああいうのも学校に提出すれば結構評価されたかもと今では思うのだけど、あの頃は小学生らしい作品を作らねば褒めてもらえないよう思われて、わざわざ自分の興味とは少し違うものをつくって提出していました。学校では精度よりオリジナリティが大切とされているとの認識があったのです。しかし、僕は模倣が得意なぶん独自性のようなものはちっともなくて、結構苦労していました。ああそうそう、この感覚は幼稚園の頃からあったのだった。あるとき両親の絵を書きましょうという課題が出されて、僕は人の顔を描くことに対して一家言持っていたのに、周りの子どもたちの描くやり方をわざわざ採用したのです。人間の顔は全然そんなのじゃないだろうと思いながら。
 僕は模倣へのこだわりが強いのかもしれません。自分が写し取っているものが、本物と少しでもずれると、気持ち悪くなる。それ以外のものは正解ではないという感覚。なんなんだろう、これは。

 ボイトレから帰ってきて、非常に眠かったので少し寝て、起きました。さてこれから何をしよう。