Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 自分の心はやっぱり文章として記述されるのに向いていないなあと思います。別に僕のに限らなくて、心一般の性質なのかも知れないけど。前にも書いたけれど考えごとは時系列にそって行われるわけではないし、記憶だって沢山の断片がうずたかく積もっているだけで、それを整理するのはなかなか骨が折れる。だからすらすらとそれっぽく心情を吐露できている気分になっていたらそれはきっと嘘だと思います。その場で自分をでっち上げているから、そんな風に収まりの良い言葉に出来るのだ。ということを考えて、自分の書けなさと、他人の文章力のギャップを正当化しています。不誠実だ。とまあこんなふうに。

 計算数学Ⅱ。ひとまず環境を整えましょうということで、AnacondaというPython数値計算用ライブラリをインストールしました。行列計算とかが上手にできるようになったよ。それから、TAさんに教わったスライド(Deep learning実装の基礎と実践)でニューラルネットワークの基礎を勉強しました。数学の用語が沢山出てきてちょっと面食らう。誤差逆伝播法の数学的な側面がよく分からなくて困ります。ベクトルの微分とか線形代数とかまた勉強しないといけません。わざわざ教えてもらっているのに、そこで理解できないのは失礼な気がするし、なにより恥ずかしい。なんにもわからないのにやりたいことをやりたがっているという風には思われたくないので、来週までには頭に詰め込んでゆきたいです。案外なんとかなるんじゃないかと踏んでいます。
 僕は、それ自体を目的として学習するよりも、何かするための道具として学習するほうがうまくやれるみたいです。そう割り切ることで、完璧主義な部分を抑えることが出来る。それならば成績のために勉強するというのでも良かったはずなのだけど、それじゃあダメだったんだよなあ。僕の心は複雑です。

 夕方からバイト。バイト先の別の部署が中堅医科大入試の問題集をつくるらしくて、それの解答作成の仕事が回ってきました。ほとんど解答自体はできてしまっていたので、チェックするばかりだったのだけど。今日はひたすら物理の問題を眺めていました。熱力学の問題に一つそれなりに大きな誤答を見つけたので、してやったり感がある(ちょろい)。大学入試程度までであれば、頭のなかで挙動を思い浮かべたり極端な例を考えることで、だいたいこういう答になりそうよねというところまで予想は立つので、そこで得たイメージと違和感のある部分を探してゆくと、割とすんなりミスが見つかります。自分で解くときにも同じことがやれていればあんなに苦労しなかったと思うのだけど、なんでだろう、余裕の問題かなあ。極端に集中している時と、のんびり考えている時とで、頭の動き方がまったく違う感じがする。でも土壇場で閃いてくれるのは前者の精神状態の時なのよね。

 冬が近づいています。あるいは、冬に近づいています。冬というのは、まず裸足の指先に到来するものだと相場が決まっていて、今ちょっと冷たいです。床下暖房があると良い。あるいは下の階の人が天井裏暖房を設置するのでも良いな。
 僕は冬がけっこう好きです。空気が済んでいることと、厚めの洋服を着れること。どっしりした服を着るとなんか安定する気がするのです。僕が痩せてるからかしら。あと汗かかなくて済むからいいよね。(全然詩的なこと言えなかった)