Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 ネガティブなアイデンティティを行動選択の指針に据えてしまうと、それが自分を統一的に解釈するための主要な要素になってしまって、いよいよそれを捨てがたくなっていってしまうのではないか、ということを考えました。なんというのかな、ある種の抑鬱状態にある人間(僕にもたいがいそういう面があります)は、傍目には不自然な論理展開で自分を罰したり、納得させたりするのです。その様子を注意して観察していると、その理屈の背景には、常に自尊感情の欠如がある。自分はダメだから、このくらいが調度良いのだという風に、決して自分の意図にそぐわないような結果を自身に納得させているのです。自分の気持ちや欲望を抑圧するためにネガティブアイデンティティを用い、それによって自尊感情を低下させ続ける循環です。これを抜けるのはとても難しい。なにせ、ある意味でとても便利ですからね。自分のことをどうでもよく思うことは、最強の防衛の一つでしょう。それが、攻撃される前に死んでおくというような種類のものであれ。

 サークルにゆきました。割と発声の調子は良かった気がするのですが気のせいかもしれない。定期演奏会までもう一ヶ月を切っているのですよね。ちょっと焦るなあ。

 明日こそは掃除をします。絶対です。ほんとにほんと。