Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0111

 どうでもいいことだけれど20150111は素数らしいですね。めでたい。

 髪の毛が鬱陶しくなってきていたので髪を切りに行きました。以前友人が、僕は前髪の鬱陶しさがある閾値を超えると髪を切りにゆくというような指摘をしていましたが、実際そういうところはあるかもしれません。昔はもう少し髪型とか気にしていた気がするけれど、最近は割と適当です。まあ昔だって気にしていた割に何か行動に移していたわけではないのですが(こういう髪型にしたいということを表明することについて原因不明の気恥ずかしさがある)。ただもっと柔らかい髪質だったらなということは思います。なんとなく優しくなれる気がするのです(何に対して?[要出典])。

 夜は教養時代に同級だった人たちと新年会に興じてきました。ときどきうっ社会と感じつつもそれなりに楽しい会だったように思います。酔った勢いで、なんにもしたくない、人生なんて無意味だということを言う人が結構いて、まあそうなるよねと思ったり。そういった生きることのどうしようもない何もなさに対して泣き言を漏らしながら、彼らも僕も生き続けてゆくのでしょう。何もない中に何かを見出すよう、自然によって特別に調整された何もなさ。人は多分そんな種類の構造物です。そしてそうであることを明晰に示すことが、僕の自然に対する復讐ということになる。まあ冗談なんですが。