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Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0201

 いつのまにやらもう2月です。と書いてみて、月日が経つのは早いという認識が先行してあって、そのせいで日付を意識するたびにあっという間に時間が過ぎ去っているかのように錯覚してしまっているのはないかと思いつきました。ので、これからはようやく2月になりました、みたいな書き方をしてゆこうと思います。多分来月になったら忘れているけれども。

 Twitterに流れてきた若手物理学者の学生時代の日記を読んでみて殴られたような気分になりました。一貫した姿勢とか、物理学への情熱とか、それから我が道をゆく態度とか。どれもこれも僕に欠けているものだと思います。物理の話は全然わからなかったけど、日々の生活の中での些細な観察や発想を読むだけでも、なにか突き抜けたものを垣間見た気分になる。朝永先生の日記を読んだときにも感じたのですが、物理をやる人たちの澄んだ目線にはしばしばはっとさせられます。しかもそういう思考を、誰に見せるともなく(まあ一応インターネットに書いているので本当に意識していないのかというとわからないけれど)自然と紡ぎだしてゆく様子に、この人たちは何かが違うと認識させられてしまう。一方で自分のなんと薄っぺらいことか。ここに書いているのは何から何まで言い訳ではないか。もう少し本気になって何かをやってみたらどうか。とか言っちゃって、ほらまた、そうやってポーズばかり。
 一つの道で成果を出す(人に先んずるという意味です)には、自分の決めた仕事にある意味依存するくらいの心構えが要るように思います。なかなか難しいです。今の僕の興味の中でもっともそれに近いことをやっているのはお絵かきかしら。でもアレはあまり健全な依存の仕方ではないよね。
 せっかく日記を書いているのだからもっと気づいたこととか学んだこととか纏めてゆきたいよねということをちょくちょく思うのですが、なかなかうまくゆきません。完成した文章を書きたい気持ちと相反すると言うか。そういう雑記帳を別につくろうかしらん。

 戦争社会学のレポートを書いています。社会学っていう学問がどういう枠組みなのかわかっていないので、まずはそれを調べてみたところでは、だいたいペテンの一種であるという理解をしました。別にこれは批判ではなくて、人を騙せるということは凄いことだよねということです。例えば資本主義とか共産主義とか、沢山の人を騙しきってシステムとして実装してしまったからこそ、逆に言及可能な理論として成立しているように思うのです。そうしてそういう枠組みを発見的に構成してしまうのが社会学という学問領域なのではないか。プラトンの著作に登場するソフィストたちに似ているかも知れない。
 というわけで講師の書いた論文を参照しているのですが何を言っているのかさっぱりわかりません。これをどうレポートにしたものか。ううむ。