Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 最近不規則な生活を送っていたためか昨夜は眠るのに失敗してしまって明け方までぼーとしており、ようやく眠ったと思ったら起きたのは15時とかでした。しばらく前にたいていの状況下で眠る技術を体得したおかげでこういうことはだいぶ減っていたのですが、試験を寝過ごしたもやもやが尾を引いていたのだと思います。まあすでにそれについては折り合いをつけてしまったけれど。ここのところ異様に精神の切り替えが早くなっているので逆に心配です。生きることをあまりに些細な問題として考えるようなってしまっているのではないか。ただまあ、そうすることが実際的にどういう影響をもたらすかはよくわかっていないので、ひとまずしばらくはそうして生きてみようと思います。僕は僕が本当に悩みたいことについて悩みたいと思う。失敗したらまた配分を変えれば良い。

 「ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇」を読み進めています。なかなか理解は進まないけれども、どういうことを考えたら良いかくらいはなんとなくわかる。僕はどうも読みながら考えるということがちっともやれないので、特に重要そうな部分を選んでのんびり検討してみる必要がありそうです。しかし、この本に出てくる人たちはこれを議論しながらやっているのよな。特にチューリングの応答が的確で驚きます。頭が良い人というのはいるのだなあ、という感じ。
 僕がウィトゲンシュタインに心惹かれるのは、彼の言葉が決して人を煙に巻かないからだと思う、あるいは僕がそうされたと感じないからだと思います。「それはいったいどういうことを意味しているのだろうか」と問い続ける態度に、レトリックの入り込む余地はない。だから彼が彼の哲学をやる限り、僕は安心して耳を傾けることができる。納得出来ない部分はあっても、何を問題としているのかがわからない部分はないのです。

 今夜は元気があるので、もう少し何かしましょう。明日は久しぶりにサークルに行こうかな。だいぶ迷惑を掛けてしまっているので、ちょっと自習してゆかねば。