Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 自分の心について考えていると、どうもだいぶ遠いところまで来てしまったなということを思うのですが、こうした内的世界の探索においてもどうやらずっと先へ進んでいる人たちがいるらしくて、人間というのはなかなか恐ろしい生き物だなと思います。IQテストで測定限界を記録する人もいるのだなという感慨に似た気持ち。たくさんいるというのは凄いことだ。

 ヴィパッサナ瞑想のアレンジとして、数学瞑想やお絵かき瞑想を試みています。永井均先生の真似ですが。過集中をそれなりに抑制できて良い感じ。

 死が人生の外側の出来事であるなら、生と死の境目には永遠の微睡みがあるのだろうか。

 僕が考えているように世界が一連の継ぎ目ない模様であるとするならば、この自分というものも脳によって分節化された一つの言葉にすぎないことになる。私が私を見出す構図。我思う故に我思う故に我思う。そこではいったいなにが起こっているのだろう。

私は自分の思考メカニズムを理解する。自分がどのように知るかを、そして自分の理解力は帰納的なものであることを、正確に知る。この自己認識の無限の退行は、果てしなく段階を踏んで進行するものではなく、その限界の了解であることを理解する。帰納的認識の本質は、私には明白だ。"自己認識"なる語の、新たな意味。(あなたの人生の物語より「理解」)