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Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

足し算の話(未完)

 5+7の計算をすることを考えてみよう。あなたは沢山のおはじきの入った袋を持っている。そこからまず、ひとつふたつと数えながら、おはじきをひとつ取り出すということを、いつつと言うまで繰り返す。そして同じことを、ななつと言うまで繰り返す。そうしたら今度は取り出したおはじきをもう一度ひとつふたつと数える。取り出されたおはじきは全部で12個。よって、5+7=12
 こうした計算を繰り返しているうちに、足し算という計算にはある一定のルールが有ることをあなたは見出す。0から9までの二つの数字の足し算の結果を覚えておき、くりあがりという概念を導入することによって、どんな計算であれ筆算というやり方で出来るらしいことを知るのである。少なくとも、持っているおはじきで計算可能な範囲では。
 ここであなたは疑問に思う。この計算はもっと大きいもの、数えているうちに世界が終わってしまうような数でも成り立つのだろうか。もし成り立つのなら、どういう原理が背後に働いているのだろうか。自分の世界と平行に、足し算の世界というものがあるのだろうか。それとも、自分で確かめた範囲ではこの計算は成り立つけれども、それ以外では違う結果を返したりするのだろうか。なにやら自然なことをしている気がするけれども、しかしどこかで奇妙な感じがするぞ、と。
 あなたは考察を進め、おはじきによる計算と、小石を使った計算とが一致するらしいことを発見する。つまり、数の計算は、何の個数であるかということに影響を受けない。おはじきであれ小石であれ林檎であれ、数についての計算は同じ結果を返す。そうしているうちにあなたは数というなにやら神秘的な存在を世界の裏側に幻視するようになる。いったい数とはなんだろう。
 ところがあなたはふと思いつく。おはじきの場合も小石の場合も、自分は数えるということをやっている。この部分は共通である。もしかするとここに計算の秘密があるのではないだろうか。そこであなたは、ためしに一つのおはじきを二回数えるということをやってみる。もちろん、計算は食い違う。ただしその計算は、何回数えるということをやったかについては一致している。そこであなたは考える。ひとつふたつと数えることと数とを対応させれば、うんと大きな数についても、筆算が使えることを示せるのではないだろうか。
 例えば、

 めんどくさくなってきたのでおしまい。