Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0325

 自分の中で「できなさ」がもっともむず痒く感じられるのがお絵描きなのだけれど、それも結局は、きちんと立ち止まって考えられないことに病根があるのでしょう。なにをすべきかがきちんと定まっていて、その目標に対してつねに距離を計りながら、ときおり必要な部分部分について考えるということをやれるなら、自分に不可能なことはそうないだろうとも思う。もうなんども繰り返してきた思考ですが。未だに僕はここで足踏みをしているのです。
 創作している自分について少し振り返ってみたのですが、僕はあまりに作品を大事にしていないのではないかということに思い当たりました。描いた絵は満足すれば消してしまうし、書いたプログラムも、ひとたび用がなくなれば名前もつけずに適当なフォルダにうっちゃっている。とくに問題なのは、途中でその作品に不満が湧いてきたときに、修正するということを早々に諦めて消してしまうことです。はじめから作りなおしたほうが楽だということを考えるわけですが、たぶん本当は、試行錯誤するのが苦手なのだと思います。気に入らない部分にごちゃごちゃ修正を繰り返すのは、ストレートで気に入るものが出来るまではじめから作りなおすよりずっと心理的負荷がかかる。それがなんでなのかはよくわかりません。今まさに自分がよくないものを作り出しているという現状を認めるのがつらいのかもしれないし、もっと心や脳の深い部分にある問題が原因かもしれない。なにせときには吐き気や震えを催すほどなのです。
 何かを作り始める前に十分な検討をすべきなのだろうか。しかし事前に全ての課題を明らかにできるわけがないのだから、やはり試行錯誤しものごとを部分的に改善してゆくだけの精神的余裕みたいなものを養う必要がありそうです。
 コミュニケイションサポートルームでは「衝動性」とひとくくりにされた問題だけれど、これは僕の人生を貫く大問題であるような気がします。なんとかして自分を再設計したい。