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Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0329

 自動車学校へ行って学科教習の第一番を受けたのですが、小学校の教室を思い起こさせる内容でげんなりしました。教官はまるで家畜を訓練するようにものを言うのです。もちろん人間だって他の動物と大差ない部分を多く残しているのだから、そういったやり方に妥当性はあるのかもしれないけれど。んー、そうするともっと教官に苛々したほうが学習効率が上がるのかしら。精神にはよくなさそうだけれど。
 適性検査の結果が返ってきました。全体的にそれなりな感じ。割と適性はあるのかもしれない。

 疲れたので帰って少し寝て、数学の問題を考えていました。昔は数列の収束先としてπが出てくることについてどうも奇妙だという印象を抱いていたのですが、よく考えて見れば結構ふつうのことですね。しかしこういう側面から数学を見ると、やはり何か真理のようなものが世界の背後で厳かに稼働しており、一般に我々が見ている物事はそれらの影なのだという印象が強まる。もちろんそんなものが無かろうと数学は構成可能だって僕は信じているのだけれど。

 ふと花見がしたくなって深夜の街を探検しました。この街には桜が沢山あるので、この時期は本当に華やかになります。とくに街灯に照らされた夜桜は、その際立つ白さと夜空の黒との対比が美しい。何枚か写真を撮ってもみたのだけれど、なかなか自分の眼を通してみたそれを再現するには至らず。この辺にこだわりだすとカメラ沼にはまってゆくのかもしれません。一眼レフ欲しいかもしれない。あとPhotoshop
 ねこがいたので一緒にお花見をしていたわけですが、彼の振る舞いをじっと眺めていると、その注意の切り替えが人間のものとずいぶん違っていて面白いです。例えば僕が彼の顔を覗きこんでみても、人間がそうするより早く彼は僕への関心を失う。全体的にプロトコルが違うなあ、と感じます。体の大きさからして異なっているし、猫の目は上半分と下半分で視細胞の性質が違うらしいし、それから匂いへの感受性なんかもずれているのでしょう。そう思うと、僕と彼は思っているほどには世界を共有していないのです。そして人と人との間にも多かれ少なかれそういう部分がある。自動車学校で痛感したことですが。