Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0422

 生きることについて考えています。僕らはどういうわけか強引な仕方で無理矢理に存在してしまっていて、だからときどき理由のない人生が僕らを襲う。こうやって生を条件付けられてしまったことによって、言葉を使うことによって、僕らは正しさのゆりかごから引き剥がされ、無意味で乾燥した人生を歩まざるを得なくなった。何のために生きるのか。それは問うてはならない問題だ。動機は言葉にされることによって公共に対して開かれ、同時に固有の色彩を失ってしまう。「僕はこれこれのために生きている」と言ってみて、それに対する反論はいつだって可能である。僕は生きるために生きています。嘘だ。意味のない人生であっても精一杯楽しもうと思います。嘘だ。考えるな、感じろ。やめろ、僕に嘘をつかせるな。
 いろいろままならない気分です。