神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるというそのことである(ウィトゲンシュタイン)
本当にそのとおりだと思う。
前にTwitterで見かけて気になっていた「仏教思想のゼロポイント 「悟り」とは何か」という本を買って読みました。著者はどうやら我らが哲学専修課程の先輩であるらしい。ミャンマーで修行しているのだとか。
大方の内容は自明に思えるものだったけれど(というのもそれらはウィトゲンシュタインやカント(特に誤謬推理)の思想によく似ている(よう僕には思える)のだ)、「悟り」そのものを扱った箇所では僕がまだ把握できていない自分の傾向性(あるいは煩悩)をえぐり出してくるような記述が多くあって、殴られたような気分になりました。すごい本だと思います。とくに「遊び」の話は良かった。覚者がもう一度物語の世界に介入するということ。