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Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0730

 明け方までかけてなんとレポートを書き上げ、提出。ひどい文章を書いてしまったように思います。どうして僕はいつもこんなにぎりぎりで生きているのだろう。馬鹿らしいことこの上ないと自分でもわかっているのに、どうしてか崖っぷちに立たない限りなにかをやる気にならないのです。やっぱり僕の頭はどこかおかしいのだと思う。少なくとも、普通ではないと思う。知能の高い人間は前頭前野の働きが鈍いという記事を読んだことがあるし、前に心理士さんからも似たような話を聞いたことがあるから、こうした自己管理能力の欠如はギフトの代償として受け止めるべきものなのかもしれない。実際、見る人が見れば僕の感じている困難は高望みの結果なのだそうだ。けれどもやっぱり、+3σ超えない程度の知能の代償としては、この欠点は大きすぎるんじゃないかって気がする。もう少しまともであるか、もう少し賢くありたかった。社会適応性の谷底に自分は住んでいるんじゃないか。

 僕の人生には、遊びの感覚が足りないのだと思います。思い返せば、小さいころからそうです。自由にやれと言われると、途端に足がすくんで何もできなくなる人間でした。自由研究で何をやればいいのかわからなかったし(だって僕ごときが研究したところでそんなものに意味はないのだ)、好きに絵を描けと言われればひたすら正確に風景を写し取ろうとするか、あるいは周りの人たちの描き方を真似ることしかしなかった。その時点での自分の独創性が、実際独創的でも何でもないことを知っていて、しかも妙な方向に完璧主義者だったから、極端に高い理想を前にして立ちすくむしかなかったのです。それは今だってそう。
 もっと、純粋な仕方で物事を好きになれたらな、と思います。そうしたらきっと生きることは素敵な経験になるだろうに。

 夕方からバイト。あの会社、いたるところで詰めが甘くて面白い。