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Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0808

 鹿児島まで行ってメガネケースだの本だのを買ったり、地元のお祭りに行ったり。なんだかここのところ疲れやすいです。やっぱり鬱か何かなのかしら。

 かつてそうだったほどには実家の居心地が悪くないのは、僕が丸くなったということなのでしょうか。
 昔の僕は郷土全体の雰囲気に対して、漱石の「精神的に向上心のない者はばかだ」という言葉における意味での「ばかさ」を感じていた(もちろん、当時はそんな意識はなかったけれど)。誰も彼も愚鈍で、人を人として尊重する能力を持たず、自他の境界が曖昧で癒着していて、そういう雰囲気に我慢がならないと思っていた。「僕は僕だ。お前ではない」と言いたい気持ちがつねにあった。けれどもそれを面と向かって言うだけの気概もなかったから、あるいは理解を得る自信がなかったから、自分自身の特殊さから己を守るために、僕だけの僕、名前のない僕を心のうちに分離して、むしろ名前のある自分の方をキャラクタのように扱っていたような気がする。そういう親族に対する敵対的な気持ちが、最近少し薄れている。それは、僕が大きな遠回りを経て、地元の彼らが自然にやっていた脱自我的振る舞いの仕方を近似的に身につけたからかもしれない。けっきょく「私」なんて嘘なんだって思うようになって、それならただ秩序立った自然の一部になってしまうのもありなのではないか、という方向に気持ちが揺れているのだ。要は死にかけているわけです。