Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0823

 僕には、他人ごとのように自分について書いてしまう癖がある、と思う。それはまさに癖と呼ぶべきもので、考えなしに書くほど、そういう性質が顕になる。手癖。つねに形式が先行し、その形式に適合するように内容は歪曲させられる。だから自分の日記を読み返すのは苦手だ。文章全体に漂う違和感に殴り殺されてしまう。なんだか書くために書いているようで、実際、そうなのだと思う。こういうことを書くのも何度目だろう。

 何かをしながら考えるということが下手なのだと思います。文章を書きながら考えることが出来ないし、問題を解きながら考えることも出来ない。それから絵を描きながら考えることも。もちろん書くことや解くことができているのだから何かは考えられているに違いないのだけど、それは日頃僕が「考える」と呼んでいる行為では全然ない。行為に呑まれがちなのです。自走する形式たちに。