Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0924

 哲学的問題を共有することに対してどんどん懐疑的になってゆきます。言語の欠陥に願望をねじ込めて理論体系を立てることそれ自体はまあ好きにやれば良いと思うけれど、それを人に押し付けることは誠実な態度ではない。哲学というものは精神疾患当事者研究を超えるようなものではないと思うのです。他人のそれを参考にすることはできても、それを理論化し普遍的な治療器具として用いることはできない。ただ知的楽しみとしてなんらかの問題を解きたいのであれば基盤となるルールを共有しその上で頑張ればよろしい。数学みたいにさ。そうしないのはただの怠慢か、あるいは詐欺であるかのどちらかです。役に立てばいいのだろうか?だけど僕は自分に嘘をつきたくない。

 先端研の熊谷先生に話を聞きにゆきました。多少得るものがあったので実践してみようと思います。自分の異常と折り合いをつけてゆきたい。