Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 自分の性格に病名がついていた(自由律俳句)

 昨日、新しいPCが届いたのですが、何をどう頑張っても起動せず、どうやら初期不良を引いたようでした。BIOSすら起動しないという残念な状況でたいへんがっかりした気持ちです(メーカと販売店に連絡したところ交換してもらえるようです)。
 その失望感が尾を引いたのか昨夜はうまく寝付けず、今朝は野矢さんの講義を寝過ごしてしまいました。これで二度目なのでなんとかせにゃあなと思いつつ、最近どうも駒場まで行く気が起きません。彼のやっている相対主義擁護の議論がどうも無理筋に思えて腹が立つのです。信仰心とスコラ的方法の気味の悪い同居。それはもう哲学でもなんでもなく神学ではないか。
 そのように感じているのは僕だけではないようで、昨日の講義後にT氏に話しかけたところ彼も同じ意見を持っているようでした。メルロポンティの好きな彼は実践とか身体とかを基礎にして世界を眺めており、そういう点では後期ウィトゲンシュタイン寄りの僕と共通するところがある。要は、命題には真偽があるのではなくそれを解釈し信じたり信じなかったりする主体があるのだ、という方向です。少なくとも僕にとってはそう考えるほうがすっきりする。もちろん、先生があのように考える動機も理解はできるのですが。
 とはいえ単位は取らねばならないので頑張って出席せねばなりません。卒業できなくなるといろいろ面倒です。
 
 新しいアルバイトの面接にゆきました。知人から紹介されたデータ解析をする会社のバイトです。通された部屋で待っていると面接官が三人やってきて、あっこれもしやTwitterでよく見る怖いやつではとか邪推したのですが別にそんなことはなく、和やかにその場で採用してもらいました。何を聞かれるか全然わからなかったので返答を準備しておらず、突然自己紹介を求められた時は一瞬混乱しましたが、口のほうがあることないこと勝手に喋ってくれてなんとかなった感じです。自分に詐欺師の才能を感じます(今更かな)。そういうわけで、実際働くとなると不安がいくらかありますが、まあどうにでもなれという感じでやれるだけやってみるつもりです。嫌いでない知識を吸収するのはそれなりに得意、なはず。うー、やっぱり不安だ。
 
 仮免許を得ました。ここまで長かった。
 
 実存的鬱という概念を提唱している人がいるようです。
 こういう、自分のある種の天性について自己憐憫に浸るのは楽しいのですが、それで何かが変わるわけではないのでまあ程々に。
 
 しかしやっぱり鬱っぽいですね。つらいわけでもないのに、やる気がわかず身体がうまく動かない。どうも脳内物質のバランスが崩れているようです。うーむ。
 
  科学的実在/非実在論について。電子の実在非実在を論ずる前に、林檎が実在するという表現の意味を考えてみればよいのでは、ということを思っています。つまり、「林檎」概念だって実践レベルで立ち現れてくるものなのだから、「電子」概念だって素直にそう捉えればよろしい、ということです。電子の実在に悩むのであれば林檎の実在にも悩むべきだし、林檎の実在を自明視するのであれば電子の実在も自明視すべきだ(というか実在非実在のどちらかだと決めてしまって差し支えない)。そして例えば実は電子概念はさらに別の概念に還元できるというようなことが発見されたとすれば、それは林檎の新しい分類法が見つかったというのと同じことなのです。
 
 思考の枠組みを選択するための思考の枠組みがない。という問題。