Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 チョコレートが好きで、生きるのが嫌い。 - Redundanz

 こんなことを書いたが、そもそも人間には思想を伝達することなど出来ないのだった。言葉はただの構造であり、それにどのように血(意味)を通わせるかは各人に任せるほかない。もちろん、構造に対して摩擦の少ない血の通わせ方、そうでない通わせ方があり、それによって血の流し方の癖も変わってゆくだろう。そうした相補的流動の中で、言葉は意味を持ち、意味は言葉に合わせて変わり、意味は言葉を生む。生の問題はたんにその振れ幅の程度が著しいのに過ぎない。自転車に乗れるようなることと、人生の意義を理解することとの間に、本質的な違いはない。僕らは理解するのではなく、ただ慣れるのである。

 ある種の潔癖さ。視点に依存するような思想、理解に慣れが必要な言葉など語りたくない。明晰判明な真理のみを語っていたいと思う。正しくないものを信ずるという愚を犯したくない気持ちの裏返しでもある。