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Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 例のごとくなにか書かねばならぬという脅迫めいた天啓に導かれて筆を執ってはみたものの、特に書くべきことも思い当たらず、ただぼんやりとカーソルの点滅するのを眺めていた。そもそもこの書き出しがまずかった気がする。すなわち、一段階のメタ化は無限段階のメタ化を(ある種類の正直者にとっては)必然的に導くのであって、僕の自己認識がそのような仕方で袋小路に陥ってしまったのと同じように、この文章も、読み手と書き手の境目を曖昧化させるような螺旋状の領域に飛び込んでしまったのである。そういう意味では、僕の感じている根源的閉塞の表現モデルとして、この文章も書かれるに値するものであったといえるのかもわからない。しかし今まさにそう書いてしまったことによって、その時間遡行的に仮定された目論見は破綻してしまった。否、内在的破綻が露呈してしまった。僕には自分の書いたものをいったん消して書きなおす自由が与えられているが、ある初期値を持った思考は、それがどのように時間発展したとしても、いずれは同じポイントに収束するのだということを僕は確信しており、いまここで展開されている思考はまさにそれに属する。道のりが違えば、という人もいるかもしれないが、僕はそうは思わない。というのも付随的なものはその本質的規定からして付随的だからだ。それがわからない人間は、自分が目的を見失っているがゆえに目的を持つことができているという明瞭なる事実に気がついていない。気がつくべきだ、とも僕は思わないが。はたしてこの世には、その全貌が不明瞭であるがゆえに成立している物事というのが本当にたくさんあるのだ。