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Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0217

 ちょっと元気になってきた気がしていたけれどけっきょく一時的な躁転だったみたいです。しなければならないことを前にすると足がすくむ。寝付けないままに夜を明かしたり、何時間もぼーっと電子機器の画面を眺めている自分にふと気づくとき、僕はやはり健康ではないのだ、と思います。しかし健康とは一体なんぞや。

 なにをして生きたら良いのだろう。母などは「マトモな」生き方をして欲しいと言うけれど、彼女の提示する道のどこがマトモで、僕のどこがマトモでないのか、よくわからないというのが正直なところだ。人生の暇つぶしとしては大差無いように見える。それならば僕は僕の好きな仕方で暇をつぶしたいと思う。マトモさとは暇つぶしの社会的強度のことか。

 人間たちのほとんどは安らかに死ぬことしか考えていないように見える。なんて無欲なのだろう。なんて欲深いのだろう。

 中学のとき通っていた塾に僕より理科ができる人が一人だけいて、彼の口癖が「それがなにか問題でも?」だったのを思い出した。この精神性はちょっとだけ見習ってゆきたい。彼とは宇宙や意識の秘密についていろいろな話をしたのだった。とても懐かしい気持ちがする。

 楽しい気持ちになったあとはいつも沈んだ気持ちがやってくる。自分の大切な正しさを汚してしまった気がするのだ。その正しさとはたぶん、自制心の極端に欠けている僕が、その代わりとして獲得した価値観なのだと思う。ないと困るけれど、最近すこし暴走しがちな気もする。暴走しているくらいがちょうどよい気もする。

 自分の内側で戦争が起こっているというのに、生活なんてやってられるか。という気分。

 前にも書いたけれど、末尾に「という気持ちだ」と加えると、それまでに記述してきた感情がスカラーになる雰囲気があるよね。