Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

非想非非想処定

 「無」さえも(「有」がそうであるのとまったく同じ意味で)ただの言葉なのだ、ということを心の底から(つまり僕と同じ仕方でという意味である)認識している人たちがどれだけいることだろう、と思う。カテゴリーには本質も現象もなく、いうならばすべては本質的であり、現象的である。それらの間にわれわれは説明被説明関係や包含関係をつくることができるけれど、あるものがあるものによって説明されるからといって、後者が前者よりもさらに本質的であるということはない。それがそれとして分節されている限り、すべては同一の階層に陳列されている。「猫」も「動物」も「無」も、〈それ〉としては同列なのだ。