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Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0718

 すべての言葉が詩になる特異点

 砂漠の真ん中で星を見るのが夢です。

 「私は見ている」という表現は「彼は見ている」と対比されてはじめて意味を持つ。そうでないならただ「見ている」で良いし、より正確には、それが見えたことによる行動の変化があれば良い。動物はそうしている。ある意味で「私」には内容がない。チェスの駒にかぶせられた紙の冠が「私」である。

 認識についての認識はおそらく「他の個体の認識」つまり「彼が見ている」が問題になるような生物にしかないのだろうと思う。たとえば猫なんかは「私」という表現を持っていない気がする。ふと"All Cats Have Asperger Syndrome"という本があったなと思い出した。統計をとったわけではないのでアレだけれど、独我論的傾向を持つ人間には自閉症スペクトラムが多い。心のなかで「他者」が占める領域が狭いぶん、「私」という表現が浮いてしまっているのではないか、それゆえ「私」が強い興味の対象になるのではないかというのが僕の想像である。ほんとかどうかは知らない。最近ようやく「青色本」における独我論の議論を肌で理解できるようなってきた気がしている。

 思考実験はなぜ成立するのかという問いに対して、多くの人は「われわれの知性が世界の良い近似になっているから」と答えるだろうと思う。でも僕はあえてこう答えたい。「われわれが世界を知性化しているから」。思考実験とはいわば文法的考察なのであって、つまり僕らは僕ら自身が描いた世界を分析している。だからそれは、本来的に近似などではない。(最近同じようなことばかり書いている。)

 フランシス・ベーコンに対してはそれほど注意を払っていなかったのだけれど、レポートの関係でノヴム・オルガヌムを読んでいて次の文章に出会い、少し親近感が湧いた。「人間の感覚が事物の尺度であるという主張は誤っている、それどころか反対に、感官のそれも精神のそれも一切の知覚は、人間に引きあわせてのことであって、宇宙から見てのことではない」。「宇宙から見てのことではない」というのが良い。すごく良いと思う。

 人間の相貌の認知に長けた人間をsuper-recogniserと呼ぶらしいのだけど、試しにweb上の簡易テストを受けてみたところ、どうやら僕はそれに当てはまるらしい。人の顔を見分けるのは苦手だと思っていただけに驚きが大きい。

 なぜ深層学習が上手く行っているのかという問いに対するもっともそれらしい答えは、「これはニューラルネットによるニューラルネットの模倣だから」かもしれない、ということを考えていた。われわれにとって〈対象〉となるようなものというのは結局、脳が自然な学習によって獲得できるような抽象なのであって、だから脳を模倣したアーキテクチャが人類の模倣においてlocal minimaに陥らないのは当然と言えるのではないか。

 人間の認識における再帰性についての雑感。人間の再帰性は、人間が幾つかの閾値(分節線)を備えた確率的なモデルであって、どんな入力に対しても自分の知っているもののうちのどれかであると応答することに拠っている。

 最近また言葉が自走しがちになっているので気をつけないと。