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Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0806

哲学 感想

 現実をどこまで数学に近づけられるか。条件を厳しくしてゆけば実験は(正しい)数学的モデルに無際限に近づいてゆくという予感をわれわれは持っており、しかし無限に条件を厳しくすることはもちろんできない。ここで「無限に条件を厳しくする」ということは一体何を意味しているのか、と問いたい。それはただの文法的操作なのではないか。われわれは何らかの意味で文法的操作の極限を考えることができる。論理とか数学とかいった必然性の眷属たちはこのあたりの登場人物だ。たとえば床に書かれた円と猫の関係を考えてみよう。猫は円の内側にいることができるし、外側にいることもできるし、縁を跨いでいることだって可能である。だが猫が限りなく小さければ、「猫は円の内側と外側のどちら側かに存在する」とわれわれは言いたくなる。だがそのような事態はそもそも思考不可能だったはずなのだ。にも関わらず、「猫が大きさを持たなければ」という想定をしたときに「猫は円の内側と外側のどちら側かに存在する」と言いたくなるこの傾向性が、つまり気持ちが、論理を作り出していると言いたい。そのような極限を想定できるからといって、それが〈実在する〉とは言えないのだ。あくまでも言語は言語のうちで閉じていて、世界に触れてなどいない。ウィトゲンシュタインの「無限は限りなく大きな数などではない」とか「数列の次の項を決めるのは直観というよりもむしろ決断である」とかいった主張の背景には、おそらくそんな気持ちがある。


 シン・ゴジラを観た。昨夜は「明日きっとゴジラを見るぞ」という気持ちで寝たのだけど、朝になってみるとこれ自分には楽しめないたぐいの映画なのではという予感がむくむくと立ち上がってきてしばらく逡巡していた。いちおう池袋まで出てみたは良いものの、一度迷いはじめると他にやりたいことがぽつぽつと浮かんできて、そういう状況に僕は弱い。いったい自分は何がしたいのだろうという反省のループが思考を占拠して、それでしばらく立ち竦んでしまった。で結局このままぼーっとしているくらいならということで映画館へ行った。ちゃんと面白かったので良かった。

 ただインターネットの人々が絶賛しているほどには映画を楽しめなかった、というのが正直なところではある。僕が捻くれているからかとはじめは思ったのだけれど、しかし同じくやたら評価の高いガールズアンドパンツァー劇場版については自分も高く評価できているので、たぶんそういうことではないのだろう。おそらく個人と集団の関係の描かれ方についてちょっとしっくりこない部分があるのだ。なんというのかな、たとえばGuPの場合は大洗廃校の阻止という目的は各キャラクタが共有しているけれど、でもその動機はもっと(極端にと言っても過言ではないかもしれない)個人的なものだ。誰もが好き勝手に闘っている。それが僕のような非社会的な人間には心地よかった。少なくとも、物語の他の要素を邪魔しなかったのである。ところがゴジラの場合は、しばしば「日本のために」ということが言われる。それを聞くたびに、冷めるとまではいかないまでも、ちょっと(なにか違う……)と感じてしまう。別に日本が嫌いということではない。君たち本当にそんな動機でやってるの、という疑念がどうしても湧いてしまうのだ。だから東京の除染に光明が見えた際の尾頭さんの笑顔にも違和感があった。えっそんなキャラだったの、もっとこう単に面白いからゴジラ対策やってるんじゃないの、という感じの。うーん、やっぱり自分の頭がおかしいだけな気がしてきた、やめよう。

 画面構成とテンポについては、評判通り十二分に楽しめたと思う。「特撮にしては」という枕詞なしに素晴らしい映像だった。「CGスタッフが物理シミュレーションで考えるのに対し庵野監督は1秒24コマの静止画の連続として捉える」という話を前に読んだが、こういうことかとちょっと納得した。戦闘描写がいちいち格好いい。ガスバーナーみたいな(伝われ)熱線の描写も良かった。ちなみに自分はエネルギー兵器の描写についてちょっとしたこだわりを持っている。原点はもちろん(?)ジェノザウラーの荷電粒子砲である。

(0808追記)

 劇中、「私は好きにした、君らも好きにしろ」という台詞がある。ポジティブに解釈されているこの言葉だが、そもそも人間はつねに好きにしているはずなのである。われわれのあらゆる判断の根底には好悪がある。どんなに非主体的に見える行動であれ、その行動を彼に取らせたのは彼の好悪の基準なのだ。だから結局「好きにしろ」というのは「好きにしている風の行動をせよ」ということであって、つまり規範・態度の押し付けにほかならない。僕がゴジラに対して抱いたモヤモヤはたぶん、言われなくとも自分(を含めたすべたの人)は好きにしている、あなたの好みを押しつけるな、という辺りにまとめられるだろうと思う。もちろんこの台詞をもっとニュートラルに解釈し、登場人物がただ好き勝手やった結果としてゴジラが倒されたというふうに映画を見れば、とくに問題はない。ただそう解釈するにはちょっと演出がくどすぎたと思う。味付けの濃すぎる作品は少し苦手なのだ。