Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0324

 大学を卒業しました。学術機関としての大学とは相性が悪かったけれども、場としての大学は好きだったのでちょっとさみしいです。こういう場所をまた見つけられると良いのだけれど。

 ちょっとした振り返りを書いておく。

 高校卒業前日の夜、自分の何者でもなさに絶望して眠れなかったのを覚えている。あの頃の僕は自分を取り巻く状況をほとんど認識できていなかったから、高校3年間をほぼ遊んで過ごした。授業は聞いていなかったし、趣味に打ち込むということもしなかった。ただひたすらぼんやりと生きていて、まあそれはそれで楽しかったのだけれども、その間にすっかりアイデンティティを喪失してしまっていた。とくに勉強ができるわけでもないし、絵や音楽にしたって自分より上手い人、真剣な人がいくらでもいた。どうでもいいことについて考えるのはけっこう好きだったけど、だからと言って先人の思想を学ぶということもしなかった。そういうわけで、3年間の間に僕は漂白され尽くし、卒業前夜になってようやくそのことを強く意識したというわけだった。今にして思うとちょっと異常だと思う。幾つかの能力に対して、人格の発達がかなり遅れていたのだ。でそんなわけだから、大学入ってはじめの数年は、失った自己像を取り戻すための期間だった、ように思う。がむしゃらに多方面に食指を伸ばし、やっぱりなんか違うなあとなるのを繰り返した。自分で言うのもなんだがわりと必死だったと思う。必死だったぶん、周囲の必死でなさにたいしてしばしば憤りを感じていた。自分はこんなに真剣に生きているのにどうして皆はそう飄々と生きていられるのかと思っていた。理不尽な怒りであると今なら分かる。おそらく東大に来るような学生というのは、それまでの人生において、もっと穏やかな形で自己像の形成を済ませているのだ。僕のような曖昧さでもってそこにいる人間のほうがイレギュラーであり、異常な人間が生きづらいのは当たり前である。それで前期課程ではだいぶ精神の調子を崩してしまい、精神がダメだとなにをやってもうまくいかない。結局点数が足りず行きたい方面(と言ってもほとんど消去法のようなものだったのだが)は諦めて、それならばいっそと哲学専修課程へと行ってみることにした。これはまあ悪い選択ではなかったと思う。教育機関としての哲学専修課程は正直どうかと思うが(まともな哲学教育がなされているとは言い難い)、そのぶんたくさんの暇があったのはありがたかった。安田講堂横のクスノキの下のベンチに腰掛けていろいろと考え事をした。この日記にも書いてきたが、そこで僕は、世界がひとつの連続であること、私は世界であること、言葉は道具であり身体や鳴き声の遠い延長にすぎないこと、実在が在るのではなくわれわれが実在を見出していること、無意味さもまた意味であること、などを見出した。その道標となったのは後期ウィトゲンシュタイン仏教思想(の一部)であって、それらに出会えたことを僕はとても幸運に思っている。もちろんこれが〈正しい〉哲学であるとは僕は思わない。ただ自分には世界がそのように見えるようになり、それによって曲がりなりにも生きてゆくことが出来るようなった、ということが重要である。だいぶ回り道をしてしまったけれども、たぶんこれが僕という人間にとって(生き延びる)最短経路ではあったのだ。死ななくてよかった、と思う。あとそうだ、駒場の野矢先生にはだいぶ影響を受けたのだった。あの人に「君にある種の嗅覚があるのはわかるが君の言っていることは全然わからん」と再三言われ続けたおかげで、多少は理解可能な言葉を喋ることが出来るようになった観がある。まだまだ言葉足らずだったり自閉的な言い回しを使ってしまうことは多いけれども、ひとまず意味の通る卒論を書けたことはひとつの成果であると考えることにしている。さてこうしてある程度の精神の安定を得たわけであるけれども、だからといって手頃なアイデンティティの獲得に成功したかというと微妙なところがある。生きることには意味がないというところからわれわれは決して意味から逃れられないというところへ一足飛びしてしまったために、いろんなことがどうでもよくなってしまった。どうでもいいというか、どれでもいいのだ。もちろん嫌いなもの、苦手なものはあるけれど、それはそれとして、どのように生きてもそれには意味がある、というところで結局、なにをやって生きてゆくか悩むことになった。何者かでありたいという強い動機が薄れてしまったのだ。はじめは大学院へ進学することを考えたのだけれど、諸々の煩雑さや、なにより自分の思想を理解されたいという気持ちの薄さから、やる気を失って詰む様子がありありと想像できたのでやめにした。そもそも院試の勉強に手が付かないのだから院進などすべきではない。もちろん考えることは自分の数少ない楽しみのひとつだし、大学という空間への憧れも多少はあるのだけれど、自分と似た傾向をもつ大学院生の様子を見るに僕には無理そうである。となると就職しなくてはならないわけだが、就活は精神に悪い。というわけで、バイト先の会社に雇ってもらうことにした。割とすんなり雇ってもらえたので良かったと思う。ただしこれからやっていけるかはちょっと不安である。飽きてしまったらたぶん死ぬ。生きていきたい。

 なにはともあれ、高校卒業前夜のような絶望的な気持ちは今はありません。僕は僕であってそれ以上でもそれ以下でもない。それでいいのだという気分です。客観的に見て僕はかなり駄目な部類の人間だけれど、それはまあ淡々と対処してゆけばよいだけのことです。そんなふうに考える僕は愚かになってしまったのかもしれない。


 卒論に修正を加えて、後期ウィトゲンシュタイン入門として公開しておきたい気持ちがある。大学入学時の自分が読んでなるほどと思えるようなものにしたい。(野矢先生の後期ウィトゲンシュタイン解釈に反論したいというのもある(彼は言語が世界を「記述しうる」と考えている(ここに書いてどうするのだという感もあるが)))。

 僕のような人間にとって初動にかかる勢いは大きな仕事でも小さな仕事でも変わらないから、できるだけ細かい仕事は入れたくない。困難は統合せよ。僕にはこっちのほうが向いているかもしれない。