Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0513

 問いとはなんなのだろうかと考えていた。内省してみると、問いにともなう内的感覚は焦燥に似ている。何をしたらよいかわからない居心地の悪さ。たとえば「問いとはなんだろう」と口にしてみる。そのあとに如何なる言葉を続けるべきか直ちにはわからない。わからないが何かを続けねばならない気がする。そこに生まれた真空地帯みたいなものが、問いの感じを構成している。たぶんこの世界に〈問い〉は存在しないから、この焦燥感を反省し対象化したものが問いなのだろう。探索しモデルを更新せよというシグナル。ここにおいて問いの解決とは、その状況での振る舞い方が決まるということである。「問いとはなんだろう」のあとに続けてみて違和感のない言葉の並びを発見するということである。それは必ずしも適切な振る舞い方が分かるということを意味しない。

 思考によって問題を解決するには、自分の中に世界の精密なモデルを持っていなくてはならない。めちゃくちゃなシミュレーション環境でいくらシミュレートを繰り返したところで、得られる結果はナンセンスである。そしてそのモデルを精密にする作業は当然ながら純粋な思考によっては果たせない。思考の結果と現実とを見比べてモデルの精度評価をする必要がある。このことを忘れている人たちは結構いて、彼らはたいてい運が悪い。

0425

 先日映画館でタイタニックを見た。「午前十時の映画祭」でリバイバル上映されていたのである。現実と虚構の接続がたいへん見事で、お話としても非常によく出来ていると感じだけれども、人間ドラマとしてはそれほど心動かされはしなかった。いちばん心に残っているのは、タイタニックが出港するシーンの、段々と回転数を上げてゆく蒸気機関の映像である。僕はああいう複雑で巨大なシステムが淡々と機能しているのを見るのが好きなのだと思う。その奇跡的に作動するシステムの背後に人類の偏執的な努力を感じるのだ。これは昔からそうで、小さい頃離陸するジャンボジェットを見て泣いたことがある。人類頑張ってるなー、と。
 ちなみにタイタニックの登場人物の中ではアンドリュースさんが好きです。彼はあの中でもっとも純粋な人物だと思う。

0418

 豊かな人生を送りたいと思う。ここでいう豊かさというのは、豊富な教養とか丁寧な食生活とか適度な運動とかそういったものの集積のことではなく、退屈な時間を持て余してノートの片隅に落書きをはじめるような、そういう隙間に満ちた生活のことである。にゃおーん。

 自分と同じ問いを同じ深刻さで抱えている人間とだけ話がしたいと感じる。そうでない人と話しても曖昧に納得されるか怪訝な顔をされるかのどちらかである。とくに曖昧に納得される虚しさといったらない。自分にとって必然だったそのまわり道は、彼らにとっては本当にまわり道でしかないのだ。

0308

 ここ半年くらいずっと目覚めていたような気がしています。あまりに規則正しく毎日が過ぎてゆくので、意識がその継ぎ目を忘れてしまったみたい。起きたいときに起き、眠りたいときに眠る。人間らしく生きるということはつまりそういうことだと思うのですが、諸々の都合がそれを許してくれません。許してくれない?そんなの知ったことか!ってほんとは言いたいのだけれど。

 「昨日Sちゃんと意識の歯車を交換しました。小さい金色の歯車で、その中に〈私〉が入ってるんだそうです。記憶とか知性とかは脳が蓄えているんだけど、『今ここにある私』という実感を生み出すのはその意識の歯車なんですって。だからこれを書いているわたしは昨日まではSちゃんだったのです。記憶にはないけれど。でも不思議ですね。記憶の中にいる昨日以前のわたしも自分が自分であるという実感を抱いていたのに、それはかつてSちゃんだった今のわたしからすればただの記録に過ぎません。一方で、肉体としてのわたしNには、昨日も今日もずっとNであったという自覚があります。一昨日のNと昨日のNが同じNであったのとまったく同じ意味で。いったいわたしとSちゃんは何を交換したのでしょうね?」

0226

 僕は「ほんとうの」よりもむしろ「結局のところ」が知りたいのだな、と思った。

 引っ越しをしました。長いあいだ貼っていた絆創膏を引剥したときみたいな痛みがあります。この痛みもまた時間とともに癒えてゆくのでしょう。そして癒えてしまった傷跡を見て一抹の虚しさを感じるのです。過去はスーパーボールのように跳ねながらやがて動かなくなってゆきます。

 平均が先にあってその周りに値が集まっているのではないように、目標に向けて放たれた銃弾は、「真の軌跡」の周りに分布するのではなく、そのように分布する銃弾たちが総体として目標を狙うのだ。確率分布を所与のものみたいに扱っていると忘れてしまいがちだけれど、「理想的なシステムの不完全な実現値」があるのではなく、そういうばらつきのある状態たちの中に理想的なシステムが浮かび上がって見えるだけなのだ。この順番を逆にしてはいけない。と思った。

 引っ越しに託つけてHHKBを買いました。こいつぁすげぇや……

0206

 自分の関心を大事にするのと同じくらい、自分の無関心を大事にしなくてはならない。いろいろなことに興味を抱き、退屈を趣味で埋めてしまうような人間になってはいけない。つまり自分の心に嘘をついてはいけない。

 物事を相対化するのは、実はとてもむつかしい。選択肢を並置して上から眺めただけでは相対化したことにならない。そうした選択肢を可能としている背景それ自体を括弧に入れる必要があり、そのためにはある種の「修行」が必要になる。自分が普段使いしている言葉たちから距離を置くための修行が。