Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

僕不適合社会

サークルに参加してみてわかったこと。
前の立つ人が何を言っているのか理解できない。意味はわかるのだけど、その言葉が集団をどのような意味合いで制御するものであるか理解できない。
今自分の所属する集団が何をしているのかわからない。
暗黙の了解が、明示されねば分からない。(暗黙でも何でもない)
集団内で局地的に利用される語の意味が何時まで経っても頭に入らない。
etc
詰んでいる気がします。認識した行為を、意図に還元する能力が低いのか、そもそもどこからどこまでがひとつの流れなのかフレイム問題のようなものに陥っている可能性もあります。パターン認識の能力は人よりも高いようなので(種目があまりに違う気も)、後者であるように思うのですが。
まあどちらにせよ僕が社会不適合なのは確かで、どうしたものかとっかかりさえ掴めない。練習してどうこうなる次元を超えてしまっているし、もっと幼稚園の時、外で友達と遊べばよかったなあとか後悔が生じるのみです。ああ。

追試が終わりました、昨日。疲れた。二度とあんなことしたくないし、ああいう方法で物事の理解度はかるの限界があるように思う。(これは僻みでしかないのだけど(出来る側に適用されるべき問題だし))
うちの大学の学生には、確かにコミュニケーションが苦手な人は多そうだけども、社会不適合者はほとんどいなくて、まあ社会に適合できない人は大学受からないよねということになるのだけど、僕みたいな何かの間違いで入試をくぐり抜けてしまった社会不適合者にとっては、大学とはどこまでも不幸になれる場所なのだろうなあと、思います。思うだけです。どうしようもありません。

高校の時はどうやっていたのだっけ。そもそも所謂集団というのが殆ど無かった気がする。学生をよく知っていたし、うまく出来ていたのだなあと、感嘆したり恨んでみたり。