Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

11月7日だってさ。

 僕はもう、僕でいるのに疲れてしまった。愚かで、頭が悪くって、性格のねじ曲がった無能の相手をするのに、心の底から疲弊してしまったのだ。かつての僕を見返して、こんなつまらない人間の続きをやっていることを恥ずかしく思う。そして、僕に続く僕たちは、今の僕を見てそう思うだろう。
 僕はこれが成長ではあり得ないことを知っている。

 
 悲しい気分が抜けません。かつて僕が面白いと考えた物事が、ちっとも面白く無いのです。あれは、ただ浮かれていただけなのだろうか、もしそうなら、今僕が面白いと思っている物事も、きっとつまらないに違いない、頭の悪い考えに違いない、と思います。そうして、それを眺めていた、眺めている人達は、かわいそうな人がかわいそうなことしていると、内心見下しているのだろうと疑ってしまう。だって、僕ならきっと、そうするだろうから。これ以上の恥をかくことに、僕は耐えられないのです。

 小さい頃僕はウルトラマンが好きだったのだけど、小学校ではウルトラマンなんてダサいというのが子どもたちの総意で、だから仕方なく僕も、あんなの面白く無いよねって嘯いていた。あの時のあの心苦しさは、もう二度と味わいたくないと思っていたのに、いつの間にか僕がウルトラマンになってしまっている。
 小学生の僕は、それでもこっそり、毎週テレビで光の巨人を応援していました。今の僕に、そうするだけの力はありません。かなしい。にゃん。